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 株式会社文學の森発行の「月刊俳句界」に山本安見子氏が連載中のエッセイ「ふたりの母」第110回(2013年2月号)に長崎游泳協会より山本健吉氏へ師範の辞令を差し上げた際の話が書かれていましたので紹介します。
 著者の父である文芸評論家の山本健吉(本名:石橋貞吉)の文化勲章受章を記念し、諏訪神社境内に文学碑が建立され、昭和59年11月3日除幕式が行われた際のできごとです。

 夜の富貴楼での宴会で、長崎游泳協会の田中直一氏より父は師範の免状を授与さ れた。
 父は小学校の頃から游泳協会に入って毎夏鼠島の道場で水泳をしていたが中学の頃、クロール泳法が入って来たのと全国水泳大会に長崎県代表の一人として出場が決まったので、游泳協会から離れた。故に小堀流の師範の免状はもらっていなかった。父の兄弟は皆持っているので憧れていたのだ。父は「もう一度、勲章を戴いたようだ」と喜び、黒い線が三本入った師範帽に首から木札を下げ、田中直一氏と一緒に長崎游泳協会会歌を舞台デュエットした。これは石橋忍月の作詞による。
 "汝れ三伏の暑に恐ぢて 陋居に痩をかこつ人"と難解な歌詞で「今の子供たちに分かりますか」と私は目を丸くした。「分からんければ大人が教えたらよかとです。分からんかも、と言って子供に合わせることはなか」と直一氏は毅然と言い放った。

左:田中直一主任師範、右:山本健吉氏

 山本健吉の父石橋忍月(本名:友吉)は長崎游泳協会会歌の作詞者で森鴎外との「舞姫論争」などの文芸評論でも知られる。1899年(明治32年)長崎地方裁判所判事として長崎に赴任した。