明治・大正  昭和  平成  令和
できごと長崎のできごと
1927
昭和2年
  • 十哩競泳大会、対佐世保海兵団、対軍艦青葉乗組員、竹之内優勝、福野4位、熊井6位、小松7位
  • 五哩競泳大会(女子)久保田善子優勝、三浦貞子2位、本田静子3位、川合季子4位、以下、的山松子、吉田スミ子、原田孝子、近藤康子、西村マサ子
本石灰町の梅月堂が柳通り(今の観光通り)に移転
1928
昭和3年
  • 馬渡勇喜アムステルダム五輪に出場(200m平)
  • 九州水上競技大会で女性活躍
長崎紡績株式会社で一方的な賃下げ通告を発端に労働争議が勃発、全国の紡績争議の発端となる。
1929
昭和4年
長崎市で天然痘
1930
昭和5年
  • 会期直前、大型台風が設備破壊
  • ねずみ島山頂に皇后島神社建立される
長崎駅〜出島岸壁の臨港鉄道が開通。長崎港駅が開業。現在は遊歩道になっている。
1931
昭和6年
  • 創立30周年、正会員2,900名
  • 「日の丸号」就航、鋼鉄船で建造費6000円
  • 各地游泳場へ教師派遣
    木浦游泳場へ馬渡勇喜
    崎戸鉱業所游泳部へ原口清一
    学習院へ藤山網雄
    慶大游泳部へ平井清勝
  • 吉田道義、田中仙之助へ熊本宗家より小堀流踏水術目録が与えられる
  • 日英親善競泳、入港中の英軍艦に自由形で完敗
中島川の鐵橋(くろがねばし)が鉄筋コンクリート製に架け変わる。
1932
昭和7年
  • 港湾課長山田要氏理事長を引き継ぐ
  • 記念館完成、この年に限り会費を50銭値下げ、小学生1円、中学生1円50銭
  • 県下少年水泳大会
  • この頃より浜に砂を入れるようになる
三浦環が来崎。長崎、佐世保で四公演。
1933
昭和8年
  • 国際親善競泳競漕大会(雲仙諏訪の池)
    フランス東洋艦隊プリモーゲ号乗組員対抗競泳(自由形、ブレスト、背泳)を行う
  • 侍従武官、川岸文三郎少将“島”を視察
  • 小堀流七代師範小堀平七翁、来島
松尾サダ(愛八)60歳で死去。葬儀は盛大に行われ新聞も詳しく報道した。
1934
昭和9年
  • 段級制
  • 近代泳法「クロール」「バック」「ブレスト」を加えて指導を始める
  • 島一周の政右エ門道路完成(600m)
  • 田中直治、文部大臣の表彰を受ける
県営バスが営業開始。
1935
昭和10年
  • 学習院游泳教師派遣
    田中直一、熊井定男、中島行義、静岡県沼津へ
三菱球場(現川口町)で読売巨人軍と全三菱軍の野球試合が行なわれる
25対1で全三菱が敗退
1936
昭和11年
  • 学習院游泳教師派遣
    熊井定男、寺元忠雄、村尾嘉吉郎
  • ねずみ島風浪のため初段試験を大橋付近の浦上川で実施
ソ連発注の耐氷貨物船が川南工業香焼島造船所で起工、のちの南極観測船『宗谷』
1938
昭和13年
  • 小榊村が長崎市に編入され皇后島も長崎市に
三菱造船で戦艦武蔵起工
1939
昭和14年
  • 学習院游泳教師派遣
    堤一仁、細井勇、川平敏、高島孝明、山中義治
三菱造船所が倉場富三郎より『グラバー邸』を買い取る
1941
昭和16年
  • 学習院游泳教師派遣
    堤一仁、唐津勝也、石橋康雄、三島敏夫、井村泰雄
『へデクパウダー』の平坂製薬がアスピリンの調達が困難になり休業
1942
昭和17年
  • 創立40周年を迎える、「小堀流踏水術游泳教範」記念出版
  • ラジオ水泳会(昭和13年より始まる)いよいよ盛況となる
上海航路の長崎丸が伊王島沖で日本軍の機雷に触れ沈没。
1943
昭和18年
  • 弾丸で死ぬとも溺れて死ぬな
  • 壮丁訓練始まる
上海航路の上海丸が揚子江沖で兵員輸送船と衝突して沈没。
戦争激化のため昭和19年より21年まで休会
1946
昭和21年
  • 再開を期すもコレラ流行のため断念
進駐軍将兵の土産品に人気でべっ甲業界に特需
1947
昭和22年
  • 再開、福田遠泳
  • 「平和」田中直治先生大水書
長崎バスの鬼塚車掌が打坂峠でバスの転落を防ぎ殉職。
1948
昭和23年
  • 田中直治主任師範死去、「忘水之位」追贈される
  • 田中仙之助先生(直治先生の実弟)、主任師範となる
ヘレン・ケラー女史が如己堂を訪れ永井博士を見舞う。
1949
昭和24年
  • 長水会事件
『柳通り』の通称を『観光通り』に改称
1950
昭和25年
  • 文部省標準泳法を取り入れ「蛙足」を平体泳法に取り入れる
西坂と本原の十字架山がカトリック教会の公式巡礼地となる。
1952
昭和27年
  • 創立50周年を迎える
  • 市よりの補助金30万円
長崎平和放送株式会社(現在の長崎放送)創立。翌年よりラジオ放送開始。
1954
昭和29年
  • 県知事表彰、市教委表彰
桜町の立体交差が完成。
1955
昭和30年
  • 海上輸送この年より、市営交通船となる
北村西望作の平和祈念像が完成
1956
昭和31年
  • 第1回日本泳法大会(奈良)
    熊井嘉明、田中忠義、立体泳法の部で好成績をおさめる
    石橋三郎「錬士の証」合格
映画ブームで市内の映画館が21館に
1959
昭和34年
  • 長崎市長による表彰
  • 初の女性師範誕生、土肥原雅子
長崎水族館開館(文部省指定博物館相当施設)
1962
昭和37年
  • 創立60周年を記念して新会歌できる
    先師の碑及び田中直治先生の胸像を建立
  • “島"に海底水道管設置される
キングペンギンの「ぎん吉」が長崎水族館に
2002(平成14)まで39年9ケ月15日の飼育記録をつくる
1963
昭和38年
  • 田中仙之助主任師範死去
  • 田中直一先生、主任師範となる
長崎駅前の長崎交通産業ビルが完成
1964
昭和39年
  • 第3回有明海横断遠泳成功
    男子34名、女子9名、平均年齢17.5歳
長崎電鉄が全国初の広告電車を運転
1967
昭和42年
  • 創立65周年を迎える
長崎バイパス供用開始、九州初の有料自動車専用道路
1968
昭和43年
  • 鼠島航路権、游泳協会から長崎市に移る
  • 65周年誌刊行、著者田栗奎作氏
深堀と香焼町の間の海が埋め立てられる
1969
昭和44年
  • 長崎国体、佐世保会場にて「大名行列」披露
  • 昭和天皇五島巡幸を水中奉迎
長崎駅前高架広場が完成
1971
昭和46年
  • 財団法人設立準備委員会発足
「レジャーランド三景台」が入場者減少で閉園
1972
昭和47年
  • 創立70周年記念行事
  • 財団法人発起人会開く
  • 文部大臣表彰を受ける
  • 第二次外港埋立計画により“島”最後の年となる
さだまさしと吉田政美がグレープを結成
1973
昭和48
  • 市民総合プールの運営・指導を市教委より受託、夏季水泳教室の指導を始める、生徒数6,000名
  • 「海派」分裂
十八銀行本店に現金自動支払機が設置される
1974
昭和49年
  • 2/10時津町琴の海観光センターで寒中水泳
端島(軍艦島)炭鉱閉山
1979
昭和54年
  • 2/11野母崎町岳路海岸で寒中水泳
長崎大学に歯学部新設
1982
昭和57年
  • 1/1鼠島で寒中水泳「ズームイン朝」で中継
  • 創立80周年記念行事、7・23長崎大水害ですべて翌年に延期
  • 教師総数約500名
マザー・テレサがヨハネ・パウロ2世の勧めで来崎
1983
昭和58年
  • 創立80周年記念行事を1年遅れで開催、「大名行列」をねずみ島閉鎖以来11年ぶりに市民総合プールで初めて披露
TBS「ザ・ベストテン」300回記念放送を市民プール隣のラグビー・サッカー場から生放送
1位は杏里の「キャッツ・アイ」
1984
昭和59年
  • 8/11市民プール川谷場長逝去
長崎電鉄100円に値上げ
 →以降25年間据置
1985
昭和60年
  • 第30回日本泳法大会(修善寺)
    ジュニアの部に初参加、小野美樹(秀賞)、福岡将之、河原暁、森崎光子(優賞)の好成績
  • 唐津勝彦「水練の証」合格
長崎駅〜出島岸壁の臨港鉄道の線路が撤去される
1987
昭和62年
  • 創立85周年を迎える
    記念事業として第1回橘湾遠泳を実施(参加者130名)
さだまさしの無料野外コンサートの1回目が行われる
1988
昭和63年
  • 石橋康雄、黄綬褒章を受ける
  • ねずみ島の記念館取り壊しに長崎県と合意
昭和天皇病気のため「長崎くんち」奉納踊りと神輿行列が中止

明治・大正  昭和  平成  令和