ねずみ島時代 海から陸へ | ||||||||||
プールでの指導が始まる | ||||||||||
1973年(昭和48年)長崎市民総合プールでの指導が始まりました。この年より長崎市教育委員会主催の水泳教室の指導を長崎游泳協会が担当するという形での開催となっています。当初、ねずみ島と同じ3,000名の生徒を予定していたところ、6,000名を超える申し込みがあり、全体をA、Bの2班に分けての隔日指導という形をとりました。 | ||||||||||
大名行列の復活 | ||||||||||
1982年(昭和57年)7月23日、夕方より降り始めた豪雨は、翌24日までの総雨量が572mmにもなり、中島川、浦上川をはじめとする河川を氾濫させ、崖崩れ4,306カ所、地すべり151カ所、住宅被害39,755戸、死者・行方不明者299名という未曽有の大水害を引き起こしました。浦上川沿いに位置する長崎市民総合プールも洪水の直撃を受け甚大な被害を被りました。これにより予定されていた創立80周年の記念事業はすべて延期となりました。 翌1983年(昭和58年)創立80周年記念事業が1年遅れで実施されました。その目玉は、ねずみ島を離れて以来10年間途絶えていた大名行列の復活でした。行列に参加する子供たちは、ねずみ島の大名行列を見たことのない世代でしたが、協会教師たちの指導のもと、雲助唄も高らかに行列は見事に大井川を渡り切りました。
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分散開催 | ||||||||||
松山地区のスポーツ施設が再整備されることとなり、市民総合プールも23年ぶりに全面建て替えが決まりました。そのため、1995年(平成7年)は既存の室内プールと山里小学校、城山小学校のプールをお借りしての分散開催となりました。翌1996年(平成8年)には市民総合プールが全面工事となったため市内8校の小・中学校での分散開催となりました。
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新・市民総合プール完成す | ||||||||||
1996年(平成8年)10月、新しい市民総合プールが完成し、日本水泳連盟の古橋廣之進会長を迎え落成式が行われました。九州で3番目となる室内公認50mプールなど最新の競技用設備だけでなく、流水プールやスライダーなども完備する「総合プール」の名にふさわしいプールです。 翌1997年(平成9年)には、新プール完成を記念して第42回日本泳法大会が長崎で初めて行われました。同大会では、模範演技として当協会の大名行列が披露され、200余名の子供たちが様々な道具を手に堂々と泳ぐ姿は「生徒たちの数・泳力ともに他に類を見ない」と高く評価されました。
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創立100年、そして新たな歴史を創る | ||||||||||
2002年(平成14年)長崎游泳協会は創立100周年を迎えました。数々の記念事業も滞りなく開催され、「長崎游泳協会ここにあり」という姿を市民の皆様に披露することができました。ここに、100周年記念誌に掲載された、時の主任師範田中直一のご挨拶を再掲します。
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NPO法人長崎游泳協会へ | ||||||||||
2004年(平成14年)9月、長崎游泳協会は特定非営利活動法人(NPO法人)として認可されました。また、長崎市の指定管理者制度に基づき、2006年4月より長崎市民総合プールの運営管理を全面的に委託されています。 | ||||||||||
ねずみ島時代 海から陸へ |