年 | できごと |
1927 昭和2年 |
- 十哩競泳大会、対佐世保海兵団、対軍艦青葉乗組員、竹之内優勝、福野4位、熊井6位、小松7位
- 五哩競泳大会(女子)久保田善子優勝、三浦貞子2位、本田静子3位、川合季子4位、以下、的山松子、吉田スミ子、原田孝子、近藤康子、西村マサ子
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1928 昭和3年 |
- 馬渡勇喜アムステルダム五輪に出場(200m平)
- 九州水上競技大会で女性活躍
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1929 昭和4年 |
- 閑院宮を占勝閣対岸にて奉迎(4/14)
- 記念館起工式(7月)
- 水研事件解決(8月)
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1930 昭和5年 |
- 会期直前、大型台風が設備破壊
- ねずみ島山頂に皇后島神社建立される
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1931 昭和6年 |
- 創立30周年、正会員2,900名
- 「日の丸号」就航、鋼鉄船で建造費6000円
- 各地游泳場へ教師派遣
木浦游泳場へ馬渡勇喜 崎戸鉱業所游泳部へ原口清一 学習院へ藤山網雄 慶大游泳部へ平井清勝
- 吉田道義、田中仙之助へ熊本宗家より小堀流踏水術目録が与えられる
- 日英親善競泳、入港中の英軍艦に自由形で完敗
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1932 昭和7年 |
- 港湾課長山田要氏理事長を引き継ぐ
- 記念館完成、この年に限り会費を50銭値下げ、小学生1円、中学生1円50銭
- 県下少年水泳大会
- この頃より浜に砂を入れるようになる
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1933 昭和8年 |
- 国際親善競泳競漕大会(雲仙諏訪の池)
フランス東洋艦隊プリモーゲ号乗組員対抗競泳(自由形、ブレスト、背泳)を行う
- 侍従武官、川岸文三郎少将“島”を視察
- 小堀流七代師範小堀平七翁、来島
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1934 昭和9年 |
- 段級制
- 近代泳法「クロール」「バック」「ブレスト」を加えて指導を始める
- 島一周の政右エ門道路完成(600m)
- 田中直治、文部大臣の表彰を受ける
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1935 昭和10年 |
- 学習院游泳教師派遣
田中直一、熊井定男、中島行義、静岡県沼津へ
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1936 昭和11年 |
- 学習院游泳教師派遣
熊井定男、寺元忠雄、村尾嘉吉郎 - ねずみ島風浪のため初段試験を大橋付近の浦上川で実施
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1938 昭和13年 |
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1939 昭和14年 |
- 学習院游泳教師派遣
堤一仁、細井勇、川平敏、高島孝明、山中義治
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1941 昭和16年 |
- 学習院游泳教師派遣
堤一仁、唐津勝也、石橋康雄、三島敏夫、井村泰雄
- 創立40周年を迎える、「小堀流踏水術游泳教範」記念出版
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1943 昭和18年 |
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戦争激化のため昭和19年より21年まで休会
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1946 昭和21年 |
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1947 昭和22年 |
- 再開、福田遠泳
- 田中直治主任師範が「平和」の大水書
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1948 昭和23年 |
- 田中直治主任師範死去、「忘水之位」追贈される
- 田中仙之助(田中直治の実弟)主任師範となる
- 「大名行列」再開
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1949 昭和24年 |
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1950 昭和25年 |
- 文部省標準泳法を取り入れ「蛙足」を平体泳法に取り入れる
- 大名行列に姫御輿が登場
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1952 昭和27年 |
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1954 昭和29年 |
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1955 昭和30年 |
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1956 昭和31年 |
- 日本泳法大会(奈良)に出場
石橋三郎「水練証」資格取得、熊井嘉明、田中忠義は立体泳法の部で好成績をおさめる
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1959 昭和34年 |
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1962 昭和37年 |
- 創立60周年を記念して新会歌できる
先師の碑及び田中直治先生の胸像を建立
- “島"に海底水道管設置される
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1963 昭和38年 |
- 田中仙之助主任師範死去
- 田中直一(田中直治の長男)主任師範となる
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1964 昭和39年 |
- 第3回有明海横断遠泳成功
男子34名、女子9名、平均年齢17.5歳
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1967 昭和42年 |
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1968 昭和43年 |
- 鼠島航路権、游泳協会から長崎市に移る
- 「甲ん櫓」消える
- 65周年誌刊行、著者田栗奎作氏
- 深堀香焼間の埋立のため遠泳コースを鼠島5周14kmに変更
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1969 昭和44年 |
- 長崎国体、佐世保会場にて「大名行列」披露(9/10)
- 昭和天皇五島巡幸を水中奉迎(10/27)
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1970 昭和45年 |
- 若手教師より第四回有明海横断の提案あるも実現せず
- 台風9号により大名行列を中止
- 台風11号により初段試験をスポーツセンター(愛宕)で実施
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1971 昭和46年 |
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1972 昭和47年 |
- 創立70周年記念行事
- 財団法人発起人会開く
- 文部大臣表彰を受ける
- 第二次外港埋立計画により“島”最後の年となる
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1973 昭和48 |
- 市民総合プールの運営・指導を市教委より受託、夏季水泳教室の指導を始める、生徒数6,000名
- 「海派」分裂
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1974 昭和49年 |
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1976 昭和51年 |
- 1/10プールにて「泳ぎ初め」開催
- 2/8寒中水泳で4年振りの鼠島
- 鼠島を離れて初の遠泳実施(鷹島一周)
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1976 昭和52年 |
- 遠泳コースが網場牧島間に、以後10年にわたり同コースで実施
1979 昭和54年 |
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1982 昭和57年 |
- 1/1鼠島で寒中水泳「ズームイン朝」で中継
- 創立80周年記念行事、7・23長崎大水害ですべて翌年に延期
- 教師総数約500名
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1983 昭和58年 |
- 創立80周年記念行事を1年遅れで開催、「大名行列」をねずみ島閉鎖以来11年ぶりに市民総合プールで初めて披露
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1984 昭和59年 |
- 8/11市民プール川谷場長逝去
- 唐津勝彦、小堀流踏水術目録を相伝
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1985 昭和60年 |
- 第30回日本泳法大会(修善寺)ジュニアの部に初参加、小野美樹(秀賞)、福岡将之、河原暁、森崎光子(優賞)の好成績
- 唐津勝彦「水練証」資格取得
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1986 昭和61年 |
- 「初心者指導の手引き」「乙、甲組指導の手引き」を制作
- 女子初段の鉢巻廃止、男女とも帽子に
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1987 昭和62年 |
- 創立85周年を迎える
記念事業として第1回橘湾遠泳を実施(参加者130名)
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1988 昭和63年 |
- 石橋康雄、黄綬褒章を受ける
- ねずみ島の記念館取り壊しに長崎県と合意
- 唐津勝彦、小堀流踏水術腰水之巻を相伝
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