明治三十七年(1904年)

七月七日
●瓊浦游泳協会
同会は一昨夜*内外倶楽部に理事会を開き、遠からず開始すべき諸般の準備に()き協議したるが、游泳の場所は矢張昨年の通り鼠島に、開会期は十日を出でざることに決定したり。尚本年は昨年同様の設備以外に桟橋等の準備整いたれば、(その)盛会は予想に余るべく、且つは軍国の際(とて)海国男子の最も奮って試みる事なるべし。
内外倶楽部 長崎在留の外国人と日本人の社交の場として倉場富三郎らが発起人となり設立された。出島の「旧内外クラブ記念館」は明治三十六年に建設された当時の建物。

七月九日・十日
【広告】
告会員諸君
今回事務所ヲ染紺屋町廿六番地(松野嘉兵衛方)ニ仮設候ニ付入会希望ノ諸士ハ至急同所ヘ御申込アレ
 鼠島游泳場開始ノ期日ハ追テ広告ス
三十七年七月 瓊浦游泳協会

七月十七日
【広告】
鼠 島 游 泳
開 始 広 告

●本日十七日開始(雨天順延)
●乗船場 出島埋立地
●出島出船時刻(当分ノ内)左ノ通リ
 午後一時 同三時 同五時
 但日曜に限り午前十一時出船
●事務所染紺屋町二六松野方
   瓊浦游泳協会

七月二十日・二十一日・二十三日
【広告】
游泳協会会費規定広告
●本会会費一ヶ月金三十銭
外に一日往復船賃
 十六才以上八銭 十六才未満四銭
但一日限の会員は往復船賃共
 金十銭 十六才以上
 金五銭 十六才未満
●学生の会費は船賃共
 一ヶ月 金七十銭
 但七月は金五十銭とす。
●注意 本会附囑船の乗り場は出島埋立地角の波止場にして茲附近に本会出張所を置く。協会旗に注意あれ。
   瓊浦游泳協会

七月二十一日・二十三日
【広告】
游泳協会会費規定広告
●本会会費一ヶ月金三十銭
外に一日往復船賃
 十六才以上八銭 十六才未満四銭
但一日限ノ会員ハ往復船賃共
 金十銭 十六才以上
 金五銭 十六才未満
●学生ノ会費ハ船賃共
 一ヶ月 金七十銭
 但七月ハ金五十銭トス
●注意 本会附囑船ノ乗リ場ハ出島埋立地角ノ波止場ニシテ茲附近ニ本会出張所ヲ置ク協会旗ニ注意アレ
●船賃割引ノコト
送迎船賃一ヶ月又ハ本夏期中前払セントスル会員ハ(船主ヘ特別割引ノ交渉ヲナスニ付)本会事務所若シクハ鼠島出張員等へ御申出アリタシ
  瓊浦游泳協会

七月三十一日〜八月四日
【広告】
発船時刻改正公告
八月一日ヨリ
出島発船時刻を改正ス
毎日
午前前十時、午後一時
午後三時、午後五時
但日曜日ニ限リ午前ノ出船ヲ九時十一時ノ二回トス
   瓊浦游泳協会

八月二日
●鼠島游泳場の変事 (一名の行衛(ゆくえ)不明者あり但し游泳正会員に非ず)
一昨卅一日、鼠島游泳会後勿怪(もっけ)の珍事出来(しゅったい)したり。同日は日曜の事(とて)参会者(こと)(おびただ)しく千二三百名に上り、閉場時刻迄非常の盛況を呈したりしが、(やが)て最後復船出発に臨み同会役員諸氏は殊更(ことさら)混雑の日なれば注意に注意を加え復船乗込に遅刻者なき様奔走中、不図(ふと)脱衣場にヘルメット帽、白立縞浴衣(しろたてじまゆかた)、紋形兵児帯(へこおび)、懐中時計及び桐直履(きりじかばき)等の(のこ)し在るを認めたれば、理事師範助手事務員等は()てこそ大事よと其儘(そのまま)居残り、島影巌底は愚か隅々隈なく百方手を尽して捜索に従事したれど(その)甲斐なく、不時に漁船を傭い手繰網もて辺海最寄を縦横に捜査せしも昨午後五時頃迄(つい)に発見するを得ざりしが、役員諸氏は()お引続き之に従事尽力中なり。
然るに、其日(そのひ)午後一時出島発船に便乗せし和歌山県人当時市内勝山町に下宿し長崎監獄署監守を勤め居る佐藤鹿一(二十五六)と云う者あり。鼠島にて同人と出遇いし者の(はなし)に、同日鼠島游泳場にて別れたる(まま)更に行衛(あきら)からずとの事なれば、或は()れに(あら)ざるか。(もっと)も、同人は游泳協会々員に非ずして、同会制規を離れて自由勝手に游泳しつゝ在りしものなりと。捜索方に(つい)ては水上署に於ても非常に尽力しつゝ有り。
(なお)協会側の云う所に()れば、右変事に(つい)て事情を(つまびら)かにせざる者の中には、罪を協会の不注意に仮さんとするものもあれ共、()れ非常の間違にて、昨年開期中斡旋周到にして()仔細(しさい)無かりし。協会は本年更に取締を厳重にし、遊泳者の安全のみに注意し居れば、同会規則の下に秩序ある游泳に(したが)いつつ有る会員間には何等の異変なく、(たまた)ま前記の如き自由遊泳者現われ(かか)危禍(きか)を招くに至れる次第なり。捜索に非常の尽力をなすも()(むし)ろ好意上よりの事に属す。(しか)し多人数のことなれば、会員も協会の規則に(したが)(その)監督の下に游泳あり()きもの也と云えり。

八月三日
●鼠島溺死者浮上る
再昨(さいさく)卅一(三十一)日、長崎監獄署看守佐藤鹿一が鼠島にて遊泳中行衛不明となるや、(この)鹿一は游泳会正会員にあらざるも、游泳会にては理事幹事等非常の設備注意を以て、爾来(じらい)昼夜の別なく鹿一屍体捜索に奔走せしなるが、長崎水上署及び長崎監獄署よりも夫々(それぞれ)応分の尽力せしを以て、一昨朝よりは地網を打ち潜水者を入れなど種々死体発見に努力せし結果、昨日午前十一時頃鹿一屍体の游泳会桟橋下に漂うを認め、(ただち)に引上げ其筋(そのすじ)の検視を受けたり。(しか)して鹿一は近来腸胃病に(かか)り居りしと云えば、多分游泳中腸胃部冷却の為め血漿不循環を起して心臓に故障を生じ溺死せしものならんと云う。

八月八日
●昨日の鼠島
瓊浦游泳協会にては、日々に入会者を増加し(きた)るは(かつ)て所報の如くなるが、昨日曜日の来会者一千二百人以上に上りしが、同日は競泳会の催しありて優等者へ夫々(それぞれ)賞品を授与したり。(その)人名は左の如し。


尚お同会へ賞品を寄贈せしは左の諸氏なり。

八月十五日
●游泳者の病死
昨日午後二時過、当区裁判所書記某鼠島沿岸海中にて病死せしが、今(その)実情を記せんに、同人は友人数名と通船(かよいせん)を傭い同島に渡り游泳協会游泳場区域外(協会背面)(およ)そ四尺内外の浅瀬に浴泳中不図(ふと)沈入(ちんにゅう)し数分時間浮び(いで)ざりし故、傍見(ぼうけん)し居たりし人々は(はじめ)の程は藻潜(もぐ)りしならんと思いしも、遂に溺れしものと思い飛び入り救い上げたり。(しか)して(この)椿事(ちんじ)を協会に通知せしものありしを以て、同協会にては会員外なるにも(かか)わらず医師及び協会監督の種々の尽力により一時は呼吸を恢復せしも、遂に午後五時に至り死亡したり。各医師の検案に()れば、同人は兼ねて脚気衝心(かっけしょうしん)なること(あきらか)になれり。(ちなみ)に記す。飲酒の際又は脚気患者の如きものには最も游泳を慎むべきものにて、瓊浦游泳協会にては夫々(それぞれ)規律を定めて秩序ある方法を設けてある(おもむき)なれば、同会監督の下に游泳を試みなば()くも一命を損するに至らざるべし
脚気衝心 ビタミンB1の欠乏による脚気にともない心機能が低下する症状。

九月一日・四日
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出船時刻変更
九月一日ヨリ出島発船時刻ヲ左ノ通リ変更ス
(午前ノ発船ハ自今廃ス)
午後一時 三時 四時半
仮事務所ヲ自今新大工町池田宅ニ移シ候
           (電話六七二番)
   瓊浦游泳協会
出島出張所ニテモ事務ノ取扱ヲナス

九月三日
●*田中直三郎氏の*熱腸(ねっちゅう)
東濱ノ町十二番地田中直三郎氏は、日露戦争開始以来日々(にちにち)新聞紙の報道如何と戦報記事に眼を通し居れるが、一戦一勝皇軍の吉報毎に氏は祝酒を挙げつゝあり。実に真国民の*所懐なりと云べし。
熱腸 熱心に思い詰めること。またその心。
田中直三郎 田中直治師範の父で、協会の会計を務めるなど縁の下で協会を支えた。
所懐 心の中で思うこと。

九月十日・十一日
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閉会式
来ル十一日(日曜)ヲ期シ閉会式ヲ挙行ス
当日ハ大競泳其他盛大ナル水戯等ノ催シアリ
右会員、有志、諸君ニ告グ
   瓊浦游泳協会

九月十三日
●瓊浦游泳協会閉会式
会員の熱心、師範助手諸子の指導に加うるに有志諸君の扶助に保育せられ、次第に好結果を収めつゝある瓊浦游泳協会は、既記の如く一昨日鼠島に於て本年の閉会式を挙行したり。鼠島なる会場には、翠松緑水(すいしょうりょくすい)の辺幾多の彩旗(さいき)翻々(ほんぽん)として風になびき、午後一時頃迄には会員来賓皆列席し、内には十余名の外人も見えたり。各組男女の競泳を手初めとし障害物競泳、源平土器割(げんぺいかわらけわり)、来賓競泳、各師範助手の游泳等あり。中にも男子の水中提灯行列、女子の花傘泳ぎ及び水書(みずかき)の如き最も喝采を得たり。かくして泳技終りて閉会式に移り、横山会長の式辞朗読に(つい)で本社の鈴木は大要(たいよう)左の如き談話をなせり。

(おわ)りて瓊浦游泳協会万歳を唱え散会せしは午後六時過なりき。尚お同会に(つい)ては師範たりし高柳信昌氏の(こう)最も(だい)にして、氏は将校たる軍人にて有り(なが)ら高齢の為めに未だ出征の機に(かい)せず。満州に兇敵を討つの雄風(ゆうふう)を以て将来国家の支持者たる子弟の心身を錬磨し、海国民の素質を養成するに尽瘁(じんすい)せる心事(しんじ)誠に感すべく、時運は氏を起して出征せしむるの期も(ちかづ)きしは氏の本懐として祝賀すべきことなり(とて)会員一同特に満腔(まんくう)の感謝を表し居れりと云う。尚お当日の受賞者(三着まで)氏名は左の如し。
九月十五日
●游泳協会
同会は(かね)て広告の通り本日閉会の筈なりしも、師範、会員諸氏の熱心は尚お暫時(ざんじ)開会し置かん意気込(いきごみ)強く、(ため)に同会幹部にては、来る十八日迄閉会延期に決し、同日大競泳等を行い盛に本年最終の游泳を為し閉会する都合なりと。幸いに同日は日曜日に相当する(こと)(ゆえ)会員諸氏は奮って参会し海国民の壮遊(そうゆう)を為す可きなり。(ちなみ)に記す、同会本年の成績は意想外に好結果を呈したるを以て本社は近々(きんきん)(うち)(その)事歴を序記(じょき)す可し。

九月十七日
游泳協会の成功 上
瓊浦游泳協会が昨年創設早々著しき成蹟を(てい)せし次第は当時の本紙に詳記(しょうき)したるが、本年即ち第二年期の同会は、初年に比して幾倍の進歩を遂げ、(これ)を近年長崎に於て成功したる事業の随一として何人(なにひと)も認むるに至りた。今(その)一端を挙ぐれば、単に避暑又は娯楽の目的を以て鼠島に赴く人は同会の余り歓迎する所ならず。同会は(もっぱ)ら正式に教科的に游泳を修むる正会員の増加を以て隆盛の標準と()す次第なるに、本年は昨年の二倍以上に当り、(いず)れも会の精神を*服膺(ふくよう)し規律を厳守し真に游泳学校生徒と称す可き体面を成せり。元来(みだ)りに会員の数を増すは容易なれども、規律及び気風が一種(わが)長崎の游泳協会学風(がくふう)成就(じょうじゅ)する点こそ難事なるに、本年は師範諸氏の熱誠(ねっせい)愈々(いよいよ)創立の本旨(ほんし)を発揮したると昨年の上級会員が助手を務めて沈着穏健の*儀表(ぎひょう)を示したるとに()りて、兎角(とかく)尋常の場合ならば游泳は娯楽()しくは曲芸に走り或は挙動が我武者流(がむしゃりゅう)(おちい)(やす)き所を一向這般(しゃはん)の弊害を寄せ付けずキッパリと礼法技術兼ね行うて勇気和気(ふた)(なが)ら得たる特殊の美風を(かく)し得た、(これ)ぞ無上の功蹟で有る。
次には婦女子の游泳は旧式因循(いんじゅん)の家庭には不喰嫌(くわずきら)いの者多かりしも、教師其人(そのひと)既に円満謙和(えんまんけんわ)の徳に富み、会場の制裁(また)高尚(こうしょう)なるを以て、他所ならば得て(これ)有る所の喧噪(けんそう)狎嬌(おうきょう)の言語挙動()(この)協会に於て見たくも見られず。乃ち温雅にして健全なる女子の徳は、夏期の鼠島に於て修養し得と云うも*()いざる可く、昨年は精々(せいぜい)二三十人に過ぎざりし婦女子会員が、本期は一躍して二百人以上に達し、正に十倍の増加とは驚く可し。(しか)して()れ全く協会の真価値(しんかち)(ようや)く社会に認識されたる影響にして、次年には恐らく男子会員に譲らざる程加盟者を致すならん。即ち()れ本年の最も目に着く成績である。
協会の盛大に伴うて最も心配なるは游泳者の監督であるが、本年は(その)()め特に望楼(ぼうろう)を場の中心に設け、監視者は断えず楼上に在り肉眼及び望遠鏡を以て仔細(しさい)に水上を視渡(みわた)し、送音器を備えて警戒及び号令を与うるが故に、万に一つも陥溺(かんでき)を救済し得ざる事なく、少しく疲労して苦むと見ても教師助手()しくは上級者が泳ぎ寄りて援助する程なれば、()かる中にて怪我を為す人は当人の自業自得。即ち己れが協会の制規を(わきま)えず、鼠島を娯楽場と誤認して勝手に制限区域外を泳ぎ、監視者の眼を盗みて自ら被保護の権利を抛擲(ほうてき)し、好んで桟橋下(など)にもぐる人に限るなり。実に現場を見れば教師助手諸君の労苦親切は何人も感謝せずに居り得ざる可し。
先日も(ある)準会員有りて、競泳挙行中は一般の游泳を禁止せるに(かか)わらず勝手に泳ぎしを、監視者に叱られしを不平とし、規則も何も有るもの()とブツブツ言い、(まさ)に熱心なる会員の制裁を受けんとせしが、会場内に於て規則を無視する言動有る者は極めて極端の場合ながら、(たま)には横鬢(よこびん)一つ(くら)い見舞われた(とて)()れ己が生命保護の為め腹立つは不道理なり。(れい)せば、航海中には船長が生命の保護者たるを以て船内の治安警察は船長の特権たると同じく、既に協会に入る以上は協会は秩序を保つ必要上相当の威厳権力を有せざる可からず。乃ち規則を知らずに叱られたとて、知らぬ失策は恥で無し。(それ)を人前(つくろ)うて肝癪(かんしゃく)起す(など)は愚の至りなり。制止を聴いて上陸して自ら笑えば人は笑わぬなり。(この)段は呉々(くれぐれ)世人(せじん)諒解(りょうかい)を望む()である。(つゞく)
服膺 心にとどめ忘れないこと。
儀表 模範。手本。
誣いる 事実を曲げて言う。
抛擲 放り出すこと。

●明日の鼠島
瓊浦游泳協会にては鼠島游泳期を延ばし(みょう)十八日が愈々(いよいよ)閉会日なれば、師範助手其他(そのた)会員()興味ある游泳の競争ある(よし)なるが、今(その)順序を聞くに左の如し。

九月十八日
游泳協会の成功 中
(はじめ)有らざること無し、(おわり)有ること(すくな)しと世間通の(いまし)むるに(てら)し、本年の瓊浦游泳協会は創業守成(しゅせい)相半(あいなか)ばすという理由に於て、協会()れ自体の為め異常に重要なる年期(ねんき)で有た。
(しか)るに協会は一方に於て創業の主動者たる池田正誠(まさあき)君が依然たると同時に、専任師範として新たに熊本の老功家吉田荘太郎先生を招聘(しょうへい)して教科の体用(たいよう)を整え、更に市中出身の最も熱心なる游泳家笠野源三郎氏の名誉師範に加わる有り。池田肥大居士(ひだいこじ)(とも)赤銅(しゃくどう)以上軍国の主要品カーデフと色を争わんずる勢い有り。更に三谷為隈氏を抜いて嘱托師範とし高柳老大尉(また)元気昨年に一倍して名誉師範を務めたれば、昨年に()すれば(むし)手揃(てそろ)いと()う可く、且つ助手諸員の功績や没す可からざる者あり。(もと)より助手の人は(おおむ)ね青年の()にして未だ軽々しく大局の事を許す可からずと(いえ)ども、游泳の達者なることと後進を導くの懇切(こんせつ)なることは、海水を天地とする池田先生の風概(ふうがい)孤負(こぶ)せず。(すなわ)ち助手の姓名や特に録せざる可からず左の如し。
   伊東幸次郎   谷口良三
   野村  勝 中、岡本 栄次
 商、田中 直治 商、宮川清三郎
 中、山本 俊■ 中、宮田  格
 三工、島谷秀次   浅香 繁郎
  山口 次郎
右の内、中と冠せるは*長崎中学校、商は*商業学校にして三工は*三菱学校生徒なり。(しか)して(この)島谷こそ跳込(とびこ)みの名人にて跳ぶ、潜る、浮ぶの迅速なること誠に*逸群(いつぐん)の技倆有り。大坂の競争に抜駆(ぬけがけ)してチャムピョンを(はく)せしは実力なり。谷口良三は既に早稲田大学に赴き、又宮田格(また)卒業して東京に上れるが、自己の*デューテーに忠なること本年の游泳協会に於ける如くば二子(にし)必ず事業界学問界に大成せん。其他(そのた)諸子(みな)(まこと)に美質なり。
次に上級生徒にして助手の(るい)(しの)がんとし各組の長として、進退の儀表(ぎひょう)を務むる所謂(いわゆる)班長は左の七名なり。
 商、奥田 直恵  中、松室 安昌
 商、石田 清徳  商、河津 貞男
 中、藤村 恒章  商、大塚俊三郎
 商、田口 光雄
此外(このほか)に副島勇太氏雪武某氏及び海事局の土佐人堀見某氏有り。(まこと)斯道(このみち)熱心の為めに小児に()して*扶掖(ふえき)の労を取れり。
尚お前述(ぜんじゅつ)助手の一人野村勝氏は本県巡査を奉職する人の(よし)なるが、正式に*豊後游泳(ぶんごゆうえい)を卒業したる事とて、四五(けん)の竹竿を自在に水中より引起(ひきおこ)しつゝ(立泳ぎの(まま)押立(おした)つる等の愛嬌も示したり。(つゞく)
長崎中学校、商業学校 旧学制の中等教育学校で、義務教育である尋常小学校を卒業後に進学した。現在の中学一年から高校二年にあたる五年間が修業年限。進学率は低く高等女学校などを含めた中等教育学校全体でも二割にも満たなかった。長崎中学は長崎東高、長崎西校の前身。商業学校は長崎商業高の前身。
三菱学校 三菱重工が自社の社員を教育するために設置していた学校。社員として給料をもらいながら教育を受けられるため非常に人気が高く優秀な人材が集まった。ただし学制に基づく『学校』ではないため学歴は尋常小学校卒であった。
逸群 =抜群
デューテー duty「義務」「本分」のことか。
扶掖 助けること。
豊後游泳 臼杵の山内流のことであろう。

九月十九日
游泳協会の成功 下の一
協会女子部の隆盛が驚嘆に値するに至れるは、進歩せる家庭が協会の真味を諒解せるに(もとづ)けるが、元来女子部の教授法は干渉に過ぐれば婦人方の常として深く(わずら)わしがりて遠ざかり、又督励(とくれい)せざれば何時迄(いつまで)も水を(はば)かり、或は妙に柔軟を(てら)うて泳ぎ得る所をも控え目に為し過ぎる癖有り。指導攝受(せつじゅ)の緩急なかなか(むつ)かしき者にて、男子の師範なれば(いささ)か御機嫌を取りて教え申す位いにて丁度(よろ)しき位いの傾きを生じ易き所、本年は左の三夫人名誉準教師として専ら訓導の任に当り、女性(にょしょう)を以て女性(にょしょう)を率いし為め調和の宜しきを得たり。
宮川米千代 山口レツ 島田千代
勿論(もちろん)池田師範の闊達(かったつ)なる態度は、女性の気分を暢達(ちょうたつ)せしむ可く天然の感化力を有する上に、臨時女子部に入りて誘掖(ゆうえき)の労を執られたるを以て女生徒の進歩は一段光彩を放つに至れる次第なるが、(おも)なる監督として河村弘貞氏小林潔氏が女子部に(のぞ)みしは成功の直接原因たる可く覚えたり。
女子部の監督は技倆(ぎりょう)よりも資望(しぼう)と年齢とを主要条件とする所。多年港務局長たる位置は自ら()かる事に適す可く思惟(しい)さる。河村氏が直率にして規則正しき行動を以て衆を率いしことは、(すこぶ)吾人(ごじん)の意を強うせしむる者あり。(しか)して(これ)()うに、小林氏の淡泊にして技倆の超越なるを以てせしかは女子部は気も退()けず危険の(うれい)も無く和意洋々(わいようよう)として、陸上休憩の人々も自然に居心地()(みだ)りがましき娯楽の組(など)は余り近よらず、一種の温雅なる社会を成すに至れり。
(おも)うに昨年は三菱炭鉱社長江口定條氏が奮うて協会の柱石(ちゅうせき)を以て自任する有り。氏の温粋謙和(おんすいけんわ)にして事務に精確なる人格は協会創業の処理に大部分を貢献したりしが、協会の為めには不幸にして、昨年の協会期()つると同時に氏の他県転任を見しも、昨年に得ざりし河村氏をば本年に得たれば、協会は彼此(かれこれ)相償(あいつぐな)うの観を(てい)したり。兎角(とかく)進歩せる家庭の人が率先して躬行(きゅうこう)の任に当らるゝは協会発達の好因なり。青年書生を相手として()だ泳ぎ達者の人間を作るのみならば、尋常の游泳教師のみにて足る可しと(いえ)ども、瓊浦游泳協会の真旨(しんし)(しか)く単純ならず。常に上流社会の家庭をも攝収(せっしゅ)するに足るの本領を要するに付き、先輩たる側の人格が大切なりと知る可し。畢竟(ひっきょう)協会の本領は『夏の鼠島は最も健全なる屋外の大家族なり』という実を成すに在り。協会に終始する諸君は永遠に這般(しゃはん)の抱負を()つ可からず。見給え、()かる愉快なる(そう)して高尚(こうしょう)なる官民共同的游泳場は他所(よそ)には決して数無きなり。(これ)(あに)長崎の成功に非ず()、他に聞かしめて羨望(せんぼう)せしむるに足る大なる誇りに非ず()
(しか)りと(いえ)ども美事(びじ)(あたい)無しには出来ざるなり。行末(ゆくすえ)は長崎市中一般の家庭を招致し、夏の長崎を(この)一孤島(いちことう)に清涼化せしむ可き。我協会の発達を祝する人は(ひるが)えりて協会の経済面を一顧するの情を要す。()(これ)より(いささ)か該方面に談及(だんきゅう)せん。(つゞく)

●昨日の鼠島
游泳協会は昨日(さくじつ)を以て愈々(いよいよ)閉会することとし、(その)余興として各会員の競泳を挙行したり。社員の該島(がいとう)に至りしは午後三時半にして当時既に余興の大部を済したりしも、尚お四五種の游芸(ゆうげい)に於て総員の技量を見るを得、(その)全般を推察するを得たり。(その)女子の游泳及び助手師範各員の遠距離競争は当日の観物(みもの)として(こと)に人目を引けり。(その)詳細の模様に至りては(これ)を明日の紙上に挙ぐることとなしぬ。

九月二十日
本期最終の游泳協会
既報(きほう)の通り、游泳協会は一昨十八日を以て閉会し、(これ)と共に余興として各種の競泳を行いたり。今(その)景況を記せんに、社員の該島に至りしは午後三時半にして、既に競技遊泳の大半を済せる時なりき。(しか)(その)発達よき筋肉と浅黒き皮膚に瑠璃(るり)水球(すいきゅう)もて飾られし頑丈作りの男女(なんにょ)各会員の身体を見ては、(その)勤勉の度合も思いやられ、且つ市中の陋屋(ろうおく)に蟄居して(いたずら)長袖(ちょうしゅく)寛帯(わんたい)の都人を学び、白面優柔(はくめんゆうじゅう)の軟骨者流と異るを目にせしは、上岸(じょうがん)一番吾人の意を強うするに足るものなりき。
(あたか)もよし今や海上には游手(ゆうしゅ)目を隠してスタートラインを発しぬ。黒点々西に向い、東に去り沖、に往くもの岸、に来るもの参差(さんさ)(あい)離乱(りらん)して游泳する(さま)如何(いか)に滑稽なりしことよ。岸上観客の哄笑(こうしょう)は高く拍手の声に和して丘上颯々(きゅうじょうさつさつ)松音(しょういん)を没し去りぬ。(しか)も各自は尚お決勝点の一方に向うて進めるものと自信せる。吾人(ごじん)(これ)を観て一活教訓を得たり。観者は世上盲進の如何(いか)に恐る可きを知了(ちりょう)せるや。
其他(そのた)片手片足泳、両手搦泳は短距離なりしとは云え、泳手の苦労と忍耐との多大なりしを察しぬ。()()れ女子の游泳に至っては繊手(せんしゅ)蒼波(そうは)()うて突進する処緑鬢(りょくびん)朱唇(しゅしん)期せずして白浪(はくろう)相映(あいえい)する様(ゆう)にして(そう)(その)観客の片唾(かたつば) ()んで注視せるを見ば如何(いか)人目(じんもく)を引けるかを知る可きなり。次に来れるは助手及び師班長の競泳なり。(これ)実に会員中鏘々(しょうしょう)の老巧者を集めて成りしもの。船を海上一千ヤードの遠きに出して一躍水に投ずるや龍蛇(りゅうだ)動き鯨鯢(けいげい)走り滄海(そうかい)()白波(はくは)を蹴って来る処壮絶又快絶是れ誠に本日唯一の観物(みもの)なりき。(いわ)んや*窈窕(ようちょう)妙齢の淑女にして技を堂々の男子と争わんとし、()の遠距離競争に加わるに至っては、たとえ中途上船するの(やむ)を得ざるに至りしとは云え、(その)勇気の賞す可く驚く可きものありて存するを見るなり。(しか)して先着は(わずか)に三分四十秒を(ついや)せり。時既に斜陽(しゃよう)西に没せんとし、*翠烟(すいえん)山を包んで模糊(もこ)たらんとす。即ち余興を止めて賞品の授与を行い式を閉ず。今(その)受賞者を挙ぐれば左の如し。
(二三等受賞者は略す)
バタ泳甲一等 野村 太一   師班助手同 奥田 直衛
平泳 甲同  山口 金次   同 乙   清水善太郎
女子バタ泳同 田中 スガ   同平泳同  今村 サイ
横泳甲同   塚原 清次   同乙同   小田 一
抜手甲同   山口 金次   同乙同   清水善太郎
同女子同   今村 サイ   盲泳甲乙同 塚原 清次
片足片手泳同 藤村 恒■   両手搦泳同 奥田 直衛
女子 同   川村  操 
遠 離競泳同 藤村恒■(中) 同二等 島谷秀治(三工)
同 三等   奥田直衛(商) 同四等  田中直治(商)
同 五等   山本俊磨(中)
本年の游泳協会は(かく)の如くして終れり。各会員は今に於て養いたる剛壮の気と強健の体とを省みて如何(いかん)の感あるや。鍛練百千の効を経て成れる*干将莫耶(かんしょうばくや)の剣も、之を(こころ)むるに(よし)なくんば遂に(その)利鈍(りどん)を知る(あた)わず。諸氏よ今や*灯火親む可き時に当り、(その)健全なる身体と活発なる精神とを利用して、或は教場に難問を解き社会に風浪を蹴破(しゅうは)し去らんこと、()お鼠島の水波を(もてあそ)ぶが如くあらんを余は希望して止まざるなり。長髪)
窈窕 美しくしとやかなさま。
翠烟 緑のもや、かすみ。
干将莫耶の剣〜 「干将莫耶」は中国春秋時代の名剣。そのような名剣でも試してみないと鋭いか鈍いかはわからない。
灯火親しむ可き時 秋は涼しく夜が長いので読書に適しているところから秋のこと。