七月十日
●瓊浦游泳協会 の鼠島游泳場は目下脱衣場其他の設備中に、開始の期は来る十一日ならん。而して同会本年事務所は本社(東洋日の出)内に設けあるに就き、同協会加入申込者同協会に所用ある人は本社へ来らる可し。
七月十六日
【広告】十八日、二十日も同じ広告あり。
◎鼠島游泳場開始◎
来ル二十日ヨリ開始ス
出島出船 午後一時
会費 | 七月 金三十銭 八月 金七十銭 九月 金三十銭 |
●本日の游泳会
瓊浦游泳協会にては既記の如く本日鼠島運動会に付午後一時出島より出船する由。因同游泳場もに来る二十日より愈よ開始の運びに至るべしと。別項広告を見よ。
七月二十日
●游泳協会発会式
瓊浦游泳協会の発企に係る港外鼠島の游泳会場にては、過日来より委員諸氏の奔走にて万般の設備も漸く整頓なし、明後日が発会式と云う。其日が近年になき大暴風雨にて別項の如く同游泳会場も非常の大打撃を蒙むりたれど、理事委員等の熱心なる*何じょう斯る事に屈すべき。今二十日の発会式は仮令不十分の嫌ありとは言え、是非共決行の筈にて昨日来東奔西走多忙を極め居れり。
何じょう〜 「どうして〜か」
▲鼠島游泳場の被害
港外鼠島の瓊浦游泳会場も亦た非常の損害を蒙り、為めに万般の設備は滅茶々々に破壊され、望楼の如きは何所へ押流されしか影も形もなくなりたる由にて、昨日は理事委員総出にて復旧工事を急ぎ居れり。
七月二十二日
【広告】
◎鼠島游泳場開始◎
天気晴レ次第開始ス
出島出船 午後一時
会費 | 七月 金三十銭 八月 金七十銭 九月 金三十銭 |
七月二十三日
【広告】
◎鼠島游泳場開始◎
本日開会午後一時出島出船
瓊浦游泳協会
仮事務所 東洋日の出新聞社内
●游泳会発会式
本月二十日発会式挙行の筈なりし瓊浦游泳会は十八日暴風雨の跡を受て生憎の雨天なりしより中止となり、其後天候恢復次第開会すべき筈なりしなれど、連日の降雨続により本日まで延期に延期を重ね、諸子の遺憾をして深からしめたるが、理事委員側に在っては、本日は日曜と云い少々の降雨には頓着せず午後一時より会場なる鼠島に於て発会式丈は断然挙行すべき決心なりと。晴天なれば日曜なりお待兼の事と云い、定めて多数の人出ならんか。
七月二十四日
●昨日の発会式
既記の如く、瓊浦游泳会の発会式は昨日午後一時より会場なる鼠島に於て挙行されたり。当日は朝来天候険悪にて時々小雨を漏らし、天は意地悪く飽迄も游泳会に祟るが如く見たるも、会員の熱心は斯る天候にも頓着せず参会せし者実に三百余名の多数に達し、意想外なる盛況と壮観を呈し無事発会の式を終たりと。
七月二十七日
●游泳師範増聘
瓊浦游泳会にては、去る二十三日の日曜を期し降雨中にも拘らず三百余名の熱心者を得て壮なる発会式を挙行せしが、其後連日不良の天候にも関せず斯道有志者は協会に迫って強て出船せしむる程の勇気なれば、理事委員側に在っても一層の熱心と奮発を加え有らゆる設備上遺憾なからしめ、各父兄の安心と信任を得んことに努め居れるが、猶従来の師範の外に今般新たに熊本小堀流の達人町野晋吉氏を増聘なし師範助手各部署を定め各責任を帯びて同会場に臨むべしと言えば、安心して此の愉快なる運動を試み心神の健全を計るべきなり。
七月三十日
【広告】
鼠島游泳場
本日は左ノ時刻ニ発船ス
出島発 | 午前十時 午後一時 午後三時 |
八月一日
【広告】
鼠島行発船時刻
本日ヨリ左ノ時刻ニ出島ヲ出発ス
午後一時 但シ日曜日ハ午前十一時
午後三時 発船アリ
八月一日 瓊浦游泳協会
八月二日
▲佳賓一行と昨日の游泳協会
昨日午後六時、*佳賓を乗せたるマンヂユリヤ号は徐々出港し、港外鼠島附近に至るや、游泳中なりし瓊浦游泳協会員数百名は水中にて拍手喝采佳賓の万歳を叫びて歓送せしかは、タフト卿ローズベルト嬢一行六十余名は同号甲板に出で帽、手巾を振りて賞賛と決別との声を放ち、中には歓極りて*雀躍するも見受けたり。游泳協会員も感極り情激し同船に尾して游泳せりしが、同船は非常の感懐を抱く六十二名を乗せ行き、感激の声を瓊浦の波に流して馬尼刺にぞ舵を進め行きぬ。*戦勝国未来の国民たる可き健児の活発なる夏季遊戯を目撃せる佳賓一行は、帰国の途再び此快壮の景状を見んと希うや必せり。
佳賓 良い客。珍しい客。
雀躍 小躍りして喜ぶこと。
戦勝国 この年日本は日露戦争に勝利。この時既にロシアはアメリカによる講和勧告を受け入れ講和交渉の準備段階であった。
【広告】
鼠島行発船時刻
本日ヨリ左ノ時刻ニ決定ス
出島発船 | 午前十一時 午後一時 午後三時 |
八月六日
【広告】
鼠島行汽船増発
自今午後五時出島ヲ発ス
八月六日 瓊浦游泳協会
八月十日
●游泳会員の遠泳
瓊浦游泳協会は、一昨年創設以来年々非常の盛況を告げたる事は既記の如くなるが、過般文部大臣より水泳奨励の訓令をもありて、益々斯道の必要を感じ、本年は一千五百余の入会者を収容し、数人の師範其他助手に於て懇篤なる*誘掖をなしたる結果、非常に発達したるを以て甲組五十名を選抜し、来る十二日の土曜日に、鼠島より深堀村(距離十哩)へ遠泳を試すべしと。由来(ゆらい)*柔弱淫靡を以って聞えし当地に於て斯る破天荒の壮挙あるは実に祝すべき事なりとす。因に深堀遠泳の目的を達したる者には相当の賞品を授与すべしと言えば、此挙を賛する市有志家諸氏は、遠泳者の技倆奨励の為め相当の賞品を寄贈し以つて一段の盛況あらしめよ。
誘掖 力を貸し導くこと。
柔弱淫靡 柔弱=精神や体が弱い。淫靡=節度がなくみだら。現在の長崎からは想像しにくいが、当時の長崎は九州最大の都市であり徳川時代から人口流入も多く外国人も多かった。当時の長崎のイメージは現在私たちが東京などの大都会に抱くイメージなのである。
八月十三日
◎瓊浦游泳会の十哩競泳状況 一
=鼠島より深堀へ往復す=
偖も既記の如く瓊浦游泳協会にては、昨日選手健児数十名の深堀往復十哩競泳を為せしが、選手は同日午前十一時刻同会常設游泳場に参集し、指揮者の命に従うて出発点に列し、今や出発の合図遅しと待構えぬ。是より先、同協会にては競泳途中の警衛救助船の配置等、数日間来の準備整頓せし通知に接するや、師範諸員は先ず競泳者を一所に集団せしめ、競泳に対する心得を説示したる上、選手の体格及び体力を綿密に検査し夫々注意する所ありたりき。
昨日は朝来晴天にて微風ありしも、瓊浦の波穏に*馬蹄湾は全く一面碧鏡の如く、各選手は各自胸を躍らして泳路を思念して岸頭に佇み、同会員及び其遊覧者の数は万の上を越えて、長崎に於ける健児空前の快を見んは今か今かと唾を?み拳を扼して待構えたり。
折から港務局、水上署、郵船・商船両社の*ランチは、鼠島附近を縦横に出没波を蹴りて何事にかは忙はし。其中には大浦外国商館のランチも煙を吐きつゝ軽装の洋人を載せつゝ同島附近を徘徊せり。之前者は競泳の準備に奔走し、後者は昨日の快挙を見んと集えるなりき。其他*艀船、短艇を*艤して鼠島滸口に集えるもの無数。其何の為にかは記せざるも観覧の一隊なりしなり。総ての準備は為せり。総ての光景勇壮なる健児の出途を歓迎せり。時に合図船上一片の赤旗動くを見る。競泳指揮者は先ず裸体直投波を潜りて数分の後沖合十数間の点に浮出で、立泳に腰部以上を露わして、選手『水へ』と呼びぬ。号令を待ちし選手は列を正して海中に投せり。監督師範は選手の左右に序を正して之も海中にあり。救護船又其左右にあり。此間に指揮者指揮船に上り、甲板に突立ち手を挙げて選手の体を見まもりぬ。選手は一斉に指揮に眼を注ぎ、観者は咸く選手の如何に斯くて動かざること数分時、期せざる拍手喝采は海の内外に起りたり。之レ選手の出途を祝するなりき。未だ号令なし。数秒時指揮船動揺し初めたり。赤旗一揺、素破ツ選手出途の命下らんとす。此赤旗は準備なりき。喝采又起りぬ。拍手も。次で万歳の声。声は天地を転倒せしめぬ。其間に指揮船上号令あり。赤旗動きぬ。数列鯨群迫るが如き競泳選手一隊は、抜手、蹴足、横突、各自得意の術にて……
万歳の声は鳴り止まず。(以下次号)
馬蹄湾 鼠島が浮かぶ木鉢、小瀬戸、神ノ島に囲まれた湾のこと。
ランチ 港内の移動に使う動力付きの小型船。主に人員の移動に使う物を言う。
艀 動力を持たない小型船。伝馬船やサンパンの類。
艤す 船の準備を整えること。船を用意すること。
八月十四日
◎瓊浦游泳会の十哩競泳状況 二
=鼠島より深堀へ往復す=
鳴り止まぬ拍手喝采の声。続いて嚠喨の音海に響き渡りたり。之レ同協会の壮挙を賛し健児の行を壮ならしめんと奮って来りし市中樂隊の奏楽なり。
波躍り赤帽戴く健児の一隊!
先導者は誰ぞ、達磨顔に禅僧の俤宿す笠野師範なり。次に游泳シャツ純白なるを纏い赤宝子点き*藺笠の赤リボンを*頤に締め*緑髪を束子垂にせし妙齢花の如き女子三名。続くは男子組五十七名日焦け赭黒き肌膚を波間に出没せしむ。殿は一見朝鮮漁夫と見擬う池田師範なり。一隊の左右五間宛を離れて助教諸氏は一隊と並行に泳進し、楽隊を載せし指揮船は一隊の先頭に徐々と航路を取り、助ヘの左右に密接して進む救護船。
先導笠野師範が汐吐く音シュ、続く健児がオイッシと応じ、池田師範はチュッチュッと励まし、助ヘ諸氏は波を打てエイッエイッ、救護船は舷たゝいて進みぬ。
海の内外より轟く万歳の声!健児一隊波を蹴ってぞ、目指すは深堀。途中の逆潮悪浪何のその、健児一隊は泳ぎ過ぐる所より拍手喝采に歓送歓迎され、深堀村に着せしは当日正午なりき。
是より先、本紙にて当日の壮挙を知りし長崎市人高橋某は、深堀沖に赤帽の鴎群の如く来るを見るや、直に遠泳隊饗応の準備に着手し、同隊の到着を待ちて歓待至らざる無かりし。同隊は深堀豪家深町金八氏の厚意を受け、同家にて休憩昼食を為し、同日午後一時半同村を出発し、又も海上を泳ぎて鼠島に着せしは同日午後五時なりき。
健児隊帰着すれば、海の内外より起れる歓迎の拍手喝采は出発当時と等しかりし。
池田師範は出発当時と等しく、健児一隊に対して一場の祝意を述べて当日の壮挙を評し、今後のヘ訓を与えたり。此所に殊に特筆す可きは、遠泳の女子三名が、男子選手一般が疲労の体に見えしに拘らず、毫も疲労の状に見えざりしのみならず、先頭に進みて寸も追われざりしは何とも評語なし。
左に当日遠泳せし健児の氏名を列記せむ。
○拾浬往復者男子
朝 倉 健 柴田 正二 山本富太郎 陳 慶 亨
沼川 墾助 鈴 木 襄 春 野 毅 塚原喜代治
手島 清香 岸川兼太郎 田中喜三郎 田中 惠吉
山田想一郎 松 尾 茂 山口 金次 井上松之助
三好 新八 猪口 正玄 山 本 猛
○仝 女 子
今村サイ子 田中スガ子 田中タキ子
○往 五 浬
杉山 俊夫 堀見 東一 岡 貫之助 山本 泰時
松本 富治
○復 五 浬
溝口 憲二 後藤 雅雄 石尾 保治 澤山 一松
C水善太郎 松本 源治 谷川 慶次 高見 昇
莊野 壤一 小西巳代治 以 上
吾等は此空前の壮挙を祝すると共に、今後益々健児諸君が奮励斯道に尽して海国民人の英気を煥発されんことを希うものなり。(完)
嚠喨 楽器の音がよく響くさま。
藺笠 い草で作った笠。
頤 =顎。
緑髪 緑の黒髪。美しい黒髪のこと。
八月十七日
●大連の游泳会
過日の本紙にも、当市出身某将校より、游泳の要満州に起り目下修練中、との来状に接し掲載し置きしが、今又大連守備隊にても游泳術の軽忽に附すべからざるを悟り、隊長以下各将校部下を奨励して一つの游泳会を起し、師範には例の今実盛と謳われ瓊浦游泳協会とは深縁ある高柳老大尉を始め、其外二二名に依嘱なし、猶お各中隊よりも斯道の心得ある下士四名宛を選抜して助手に宛て、本月八日同地に於て盛んなる発会式を挙げたり。組織は総て瓊浦游泳協会同様にて帽子を以て甲乙丙を分ち、甲組赤、乙組赤白、丙白等なるが、其他軍属連の入会者も多く、日々盛大に趣きつゝありとの通信ありたり。
大連 中国東北部の都市。ロシアの支配地域だったが日露戦争開戦後日本軍が無血入城し守備隊が駐屯していた。
実盛 斉藤実盛。平安時代末期の武将。武士の鑑とされる。
軍属 軍人ではないが軍の機能を維持するために必要な様々な仕事をする民間人のこと。事務的な仕事から建設、売店経営など多岐にわたる。
八月十九日
●鼠島の競泳大会
深堀遠泳に成効なしたる瓊浦游泳協会にては明二十日の日曜を期し、午前九時より会場なる鼠島に於て全会員の競泳大会を行う筈なれば、定めて勇壮至極のことなるべし。今左に来観者の為め当日の番組と時間とを掲げ置くべし。
八月二十日
【広告】
大 競 泳 会
本日挙行ス
出島第一発船午前九時
熊本より猿木先生本日来場ス
八月廿日 瓊浦游泳協会
●猿木流の達人来崎
日本にても有名なる熊本猿木流游泳の大達人たる猿木師範は今般瓊浦游泳協会よりの招聘に応じ、斯道奨励の為め態々本日熊本より来崎なし、直ちに鼠島なる同会員の競泳大会に臨んで游泳に関する講話及び模範游泳等あるべしと謂えば、本日の競泳大会は一段の花を添え定めし盛会の事なるべし。
八月二十二日
【投書】
▼女子三名が深堀遠泳に成功したとて式部連は近頃投書欄にまで恐ろしく気焔を吐出した。是だから*女子と小人は養い難しの金言亦た宜なるかなと言いたくなる。(鶴老)
▼過日深堀へ遠泳されたる女子三名の内一名僕の妻に周旋する人はなきや。(廿五男)
女子と小人は養い難し 「女性と徳のない人間とは、近づけると図に乗るし遠ざければ怨むので扱いにくいものである。」元は『論語』の一節。今なら大炎上の投書である。
八月二十三日
◎雨中の大壮観@
=第二回の深堀遠泳=
第一回の深堀遠泳に予想外の成効なしたる瓊浦游泳協会にては、一昨日の雨中にも拘わらず会員の熱心は監督師範等を*慫慂して終に第二回の深堀遠泳往復を決行せしめたり。救護船其他万般の準備惣て前回通りにして教師笠野、町野、内海、八田及び助手四名監督の下に午前十時十五分、濛々たる雨中を物ともせず遠泳者総数五十七名(男女共)が隊伍を整え波涛を蹴り抜手を切って泳ぎ出したる有様は、前回に勝りし大壮観にして思わず快哉を唱えられたり。斯て首尾よく雨を衝き対岸深堀に泳ぎ着きたるは午後二時にして、五十七名の内二十六名(内女子一名)なりたり。同所にては、前回にも斡旋の労を執られし同村有志深町金八、高橋治吉両氏の宅にて、又々非常の歓待を蒙むり、昼餐休憩の後午後四時五十七名中の一粒選り二十一名(女子一名復泳にのみ加入す)は奮勇一番海に投じ、懸声勇ましく帰島の途に就きたる時には、海面漸やく荒初めんとして、遊泳者の困難一方ならざるよう見受けられしも、暮色蒼然たる七時過ぎに無事深堀遠泳往復に成効なし、鼠島に帰着したる健児は惣て二十名にして、真に雨中の大壮観を極めたり。
往復遠泳者の氏名年齢は左の如し。
八月二十六日
◎鼠島競泳大会
去る二十日の日曜に開催の筈なりし鼠島大競泳会は、生憎の雨天にてお流れとなりしが、明廿七日(日曜)更に盛大なる大競泳会を挙行する由にて、協会にては競争者への賞品其他諸般の準備に多忙を極め居れり。因に、日本一とも称せられし斯道の大達人熊本猿木氏は、前回都合に依り来崎なかりしが、目下帰県中の内海師範同伴愈々来崎する由なれば、一段の盛会なるべし。
【広告】
大 競 泳 会
去ル二十日ノ大会ハ雨天ノ為メ延期セシ処
明廿七日(日曜)挙行ス
但雨天順延ノコト
瓊浦游泳協会
八月二十七日
【広告】
本日ハ第一発船午前八時
以下定例
八月廿七日 瓊浦游泳協会
●競泳大会と余興
再三本紙上に既記を経たる瓊浦游泳協会の競泳大会は、本日午前九時より会場なる鼠島に於て盛大に挙行さるゝ筈なるが、熊本小堀流の達人猿木氏も愈々内海師範と同伴来崎さるゝ事と決したれば、一層の盛会を呈せんなり。猶お本日中の見物として、会員の熟練と技倆を発揮すべきは余興の部なるべく、水芸、源平西瓜取り、打球、城責等、孰れも看衆の喝采を博するに足らんが、殊に水中にての銃砲射的こそ嘆賞に値いし眼を驚かす物あるべしと云う。冀くば本日の競泳大会をして雨なからしめよ。
八月二十九日
●一昨日の鼠島競泳大会
雨続きの為め遺憾を忍びて延期に延期を重ね居りたる瓊浦游泳協会。一昨日の鼠島競泳大会は朝来久し振りの快晴の上に日曜とて、午前八時の出船より毎船殆んど人の小山を築きて鼠島に送られたり。競泳大会は午前九時より師範助手等が注意周到なる監督の下に勇壮に活発 開始せられ、毎回海若をも驚かす数万看衆が歓呼喝采の声に送られて無事終了したるが、余興の西瓜取り、水中射的などは最も看衆をよろこばせ、亦た其熟練の程に驚嘆せしめたり。優勝者には夫々賞品授与ありて、薄暮散会したるが、当日全島は殆んど参観者を以て埋められたる如き近来の盛会なりし。当日競泳者の氏名は左の如し。
九月一日
【広告】
自今出島発船ヲ左ノ通相定候也
午後一時、同三時
九月一日 瓊浦游泳協会
九月三日
【広告】
自今出島発船ヲ左ノ通相定候也
午後一時、同三時
日曜に限午前十一時一回を増す
九月一日 瓊浦游泳協会
九月四日
【広告】
大競泳会延期
昨三日ハ午前ノ天候不穏ノ虞レアリタル為メ中止セリ
本日ハ雨天ニ不拘挙行ス
猿木先生愈来場シ模範的游泳術ヲ示サルゝニ付会員諸君奮テ来場アレ
九月四日 瓊浦游泳協会
九月五日
【広告】
会員諸君ヘ告グ
来崎中ノ猿木先生郷里熊本ヨリ電報ニ接シタル為メ俄然三日夜半ニ汽車ニテ急行帰県セラレタルニ付模範泳術ノ義ハ乍遺憾次回ノ大競泳会ニ延期ス
九月四日 瓊浦游泳協会
九月十日
【広告】
会員諸君ヘ告グ
本日大游泳会ヲ挙行ス
其他技芸游泳数番アリ
猿木先生ハ予告ノ通リ本日挙行ノ大会ニ於テ模範游泳ヲ示サルル為メ昨日来着上野屋ニ投宿セリ
本日ノ出島発船ハ午前 九 時以下従前ノ通り
午前十一時
九月十日 瓊浦游泳協会
九月十二日
●一昨日の游泳大会
一昨日鼠島瓊浦游泳協会游泳場に於て同会競泳大会を挙行せり。当日は日曜日なりし上朝来よりの晴天なりしを以て、来会者非常に多く殆ンど一千名に達したり。当日競泳番組左の如し。
一丁組五十ヤード一回、一丙組百ヤード一回、一乙組二百ヤード一回、一甲組八百ヤード二回、一乙組平游競泳女子部一回、一抜手競泳二回、一二人三脚競泳一回、一障碍物同二回、一女子部日傘行列、
甲組芸泳、一立泳ギ、一御前泳ギ、一水書、一浮身、一発銃
右終りて師範諸氏の模範游泳及ビ猿木大家の浮身水書等ありて夕暮散会せり。
九月十七日
【広告】
游 泳 大 会
●本日は各会員熟達の芸泳を試み盛大なる游泳会を催すに付会員諸君奮て来会あれ
一日限りの会費は自今拾銭とす
本日第一出島出船午前十一時
●来る二十日を以て閉会す
九月十七日 瓊浦游泳協会
●本日の競泳大会
瓊浦游泳協会にては来る二十日を以て愈々本年度の閉会日とする筈なれば、本日の日曜を期し午前十一時より鼠島に於て会員全般の最も盛大なる競泳大会を催うし、其外種々水中の余興等多き趣なりと云えば、本年最終の競泳大会と云い*旁々本日は非常の盛況を呈すべき也。
旁々 いずれにせよ。どのみち。