明治三十八年(1905年)

七月十日
●瓊浦游泳協会 の鼠島游泳場は目下脱衣場其他(そのた)の設備中に、開始の()は来る十一日ならん。(しか)して同会本年事務所は本社(東洋日の出)内に設けあるに()き、同協会加入申込者同協会に所用ある人は本社へ来らる可し。

七月十六日
【広告】十八日、二十日も同じ広告あり。
◎鼠島游泳場開始◎
来ル二十日ヨリ開始ス
出島出船 午後一時
 会費 七月  金三十銭
八月  金七十銭
九月  金三十銭
    瓊浦游泳協会
  仮事務所 東洋日の出新聞社内

●本日の游泳会
瓊浦游泳協会にては既記(きき)の如く本日鼠島運動会に(つき)午後一時出島より出船する(よし)(ちなみ)同游泳場もに来る二十日より(いよい)よ開始の運びに至るべしと。別項広告を見よ。

七月二十日
●游泳協会発会式
瓊浦游泳協会の発企(ほっき)(かか)る港外鼠島の游泳会場にては、過日来(かじつらい)より委員諸氏の奔走にて万般の設備も(ようや)く整頓なし、明後日が発会式と云う。其日(そのひ)が近年になき大暴風雨にて別項の如く同游泳会場も非常の大打撃を(こう)むりたれど、理事委員等の熱心なる*何じょう(かか)る事に屈すべき。今二十日の発会式は仮令(たとえ)不十分の(きらい)ありとは言え、是非共決行の筈にて昨日来(さくじつらい)東奔西走多忙を極め居れり。
何じょう〜 「どうして〜か」

  ▲鼠島游泳場の被害
港外鼠島の瓊浦游泳会場も()た非常の損害を(こおむ)り、為めに万般の設備は滅茶々々に破壊され、望楼の如きは何所(どこ)へ押流されしか影も形もなくなりたる(よし)にて、昨日は理事委員総出にて復旧工事を急ぎ居れり。

七月二十二日
【広告】
◎鼠島游泳場開始◎
天気晴レ次第開始ス
出島出船 午後一時
 会費 七月  金三十銭
八月  金七十銭
九月  金三十銭
    瓊浦游泳協会
  仮事務所 東洋日の出新聞社内

七月二十三日
【広告】
◎鼠島游泳場開始◎
本日開会午後一時出島出船
      瓊浦游泳協会
  仮事務所 東洋日の出新聞社内

●游泳会発会式
本月二十日発会式挙行の筈なりし瓊浦游泳会は十八日暴風雨の跡を受て生憎(あいにく)の雨天なりしより中止となり、其後(そのご)天候恢復次第開会すべき筈なりしなれど、連日の降雨(つづき)により本日まで延期に延期を重ね、諸子の遺憾をして深からしめたるが、理事委員側に在っては、本日は日曜と云い少々の降雨には頓着せず午後一時より会場なる鼠島に於て発会式(だけ)は断然挙行すべき決心なりと。晴天なれば日曜なりお待兼(まちかね)の事と云い、定めて多数の人出ならんか。

七月二十四日
●昨日の発会式
既記の如く、瓊浦游泳会の発会式は昨日午後一時より会場なる鼠島に於て挙行されたり。当日は朝来(ちょうらい)天候険悪にて時々(じじ)小雨を漏らし、天は意地悪く飽迄(あくまで)も游泳会に(たた)るが如く(みえ)たるも、会員の熱心は(かか)る天候にも頓着せず参会(さんかい)せし者実に三百余名の多数に達し、意想外なる盛況と壮観を(てい)し無事発会の式を終たりと。

七月二十七日
●游泳師範増聘
瓊浦游泳会にては、去る二十三日の日曜を期し降雨中にも(かかわ)らず三百余名の熱心者を得て(さかん)なる発会式を挙行せしが、其後(そのご)連日不良の天候にも関せず斯道(しどう)有志者は協会に迫って(しい)て出船せしむる程の勇気なれば、理事委員側に在っても一層の熱心と奮発を加え有らゆる設備上遺憾なからしめ、各父兄の安心と信任を得んことに努め居れるが、(なお)従来の師範の外に今般新たに熊本小堀流の達人町野晋吉氏を増聘(ぞうへい)なし師範助手各部署を定め各責任を帯びて同会場に臨むべしと言えば、安心して()の愉快なる運動を試み心神(しんしん)の健全を計るべきなり。

七月三十日
【広告】
 鼠島游泳場
本日は左ノ時刻ニ発船ス
 出島発  午前十時
 午後一時
 午後三時
七月三十日 瓊浦游泳協会

八月一日
【広告】
 鼠島行発船時刻
本日ヨリ左ノ時刻ニ出島ヲ出発ス
 午後一時 但シ日曜日ハ午前十一時
 午後三時 発船アリ
八月一日  瓊浦游泳協会

八月二日
▲佳賓一行と昨日の游泳協会
昨日午後六時、*佳賓(かひん)を乗せたるマンヂユリヤ号は徐々(じょじょ)出港し、港外鼠島附近に至るや、游泳中なりし瓊浦游泳協会員数百名は水中にて拍手喝采佳賓(かひん)の万歳を叫びて歓送せしかは、タフト卿ローズベルト嬢一行六十余名は同号甲板(かんぱん)に出で(ぼう)手巾(はんかちーふ)を振りて賞賛と決別との声を放ち、中には歓極(かんきわま)りて*雀躍(じゃくやく)するも見受けたり。游泳協会員も感極(かんきわま)り情激し同船に()して游泳せりしが、同船は非常の感懐(かんかい)を抱く六十二名を乗せ行き、感激の声を瓊浦の波に流して馬尼刺(まにら)にぞ舵を進め行きぬ。*戦勝国未来の国民たる可き健児の活発なる夏季遊戯を目撃せる佳賓(かひん)一行は、帰国の()再び(この)快壮の景状を見んと(こいねが)うや(ひつ)せり。
佳賓 良い客。珍しい客。
雀躍 小躍りして喜ぶこと。
戦勝国 この年日本は日露戦争に勝利。この時既にロシアはアメリカによる講和勧告を受け入れ講和交渉の準備段階であった。

【広告】
 鼠島行発船時刻
本日ヨリ左ノ時刻ニ決定ス
 出島発船  午前十一時
 午後一時
 午後三時
 八月二日 瓊浦游泳協会

八月六日
【広告】
 鼠島行汽船増発
自今午後五時出島
八月六日 瓊浦游泳協会

八月十日
●游泳会員の遠泳
瓊浦游泳協会は、一昨年創設以来年々非常の盛況を告げたる事は既記(きき)の如くなるが、過般(かはん)文部大臣より水泳奨励の訓令(くんれい)をもありて、益々(ますます)斯道(しどう)の必要を感じ、本年は一千五百余の入会者を収容し、数人の師範其他(そのた)助手に於て懇篤(こんとく)なる*誘掖(ゆうえき)をなしたる結果、非常に発達したるを以て甲組五十名を選抜し、来る十二日の土曜日に、鼠島より深堀村(距離十(まいる))へ遠泳を試すべしと。由来(ゆらい)*柔弱(にゅうじゃく)淫靡(いんび)を以って聞えし当地に於て(かか)る破天荒の壮挙あるは実に祝すべき事なりとす。(ちなみ)に深堀遠泳の目的を達したる者には相当の賞品を授与すべしと言えば、此挙(このきょ)を賛する市有志家(ゆうしか)諸氏は、遠泳者の技倆奨励の為め相当の賞品を寄贈し以つて一段の盛況あらしめよ。
誘掖 力を貸し導くこと。
柔弱淫靡 柔弱=精神や体が弱い。淫靡=節度がなくみだら。現在の長崎からは想像しにくいが、当時の長崎は九州最大の都市であり徳川時代から人口流入も多く外国人も多かった。当時の長崎のイメージは現在私たちが東京などの大都会に抱くイメージなのである。

八月十三日
◎瓊浦游泳会の十哩競泳状況 一
 =鼠島より深堀へ往復す=
(さて)既記(きき)の如く瓊浦游泳協会にては、昨日選手健児数十名の深堀往復十(まいる)競泳を為せしが、選手は同日午前十一時刻同会常設游泳場に参集し、指揮者の命に従うて出発点に列し、今や出発の合図遅しと待構(まちかま)えぬ。(これ)より先、同協会にては競泳途中の警衛(けいえい)救助船の配置等、数日間(らい)の準備整頓せし通知に接するや、師範諸員は()ず競泳者を一所(いっしょ)に集団せしめ、競泳に対する心得を説示したる上、選手の体格及び体力を綿密に検査し夫々(それぞれ)注意する所ありたりき。
昨日は朝来(ちょうらい)晴天にて微風ありしも、瓊浦の波(おだやか)に*馬蹄湾(ばていわん)は全く一面碧鏡(へききょう)の如く、各選手は各自胸を躍らして泳路を思念して岸頭(がんとう)(たたず)み、同会員及び(その)遊覧者の数は万の上を越えて、長崎に於ける健児空前の快を見んは今か今かと唾を?み(こぶし)(やく)して待構(まちかま)えたり。
折から港務局、水上署、郵船・商船両社の*ランチは、鼠島附近を縦横に出没波を蹴りて何事にかは忙はし。其中(そのなか)には大浦外国商館のランチも煙を吐きつゝ軽装の洋人を載せつゝ同島附近を徘徊せり。(これ)前者は競泳の準備に奔走し、後者は昨日の快挙を見んと(つど)えるなりき。其他(そのた)*艀船(はしけ)短艇(たんてい)を*()して鼠島滸口(ここう)(つど)えるもの無数。(その)何の為にかは記せざるも観覧の一隊なりしなり。(すべ)ての準備は為せり。(すべ)ての光景勇壮なる健児の出途(しゅっと)を歓迎せり。時に合図船上一片(いっぺん)赤旗(あかはた)動くを見る。競泳指揮者は()ず裸体直投(ちょくとう)波を(くぐ)りて数分の(のち)沖合十数(けん)の点に浮出(うきい)で、立泳に腰部(ようぶ)以上を(あら)わして、選手『水へ』と呼びぬ。号令を待ちし選手は列を正して海中に投せり。監督師範は選手の左右に(じょ)を正して之も海中にあり。救護船又(その)左右にあり。此間(このあいだ)に指揮者指揮船に(のぼ)り、甲板(かんぱん)突立(つった)ち手を挙げて選手の(てい)を見まもりぬ。選手は一斉に指揮に眼を注ぎ、観者(かんじゃ)(ことごと)く選手の如何(いかん)()くて動かざること数分時(すうふんじ)()せざる拍手喝采は海の内外に起りたり。()レ選手の出途(しゅっと)を祝するなりき。(いま)だ号令なし。数秒時(すうびょうじ)指揮船動揺し初めたり。赤旗(せきき)一揺(いちよう)素破(すは)ツ選手出途(しゅっと)(めい)(くだ)らんとす。(この)赤旗(あかはた)は準備なりき。喝采又起りぬ。拍手も。(つい)で万歳の声。声は天地を転倒せしめぬ。其間(そのあいだ)に指揮船上号令あり。赤旗動きぬ。数列鯨群(げいぐん)迫るが如き競泳選手一隊は、抜手(ぬきて)蹴足(けあし)横突(よこつき)、各自得意の術にて……
万歳の声は鳴り止まず。(以下次号)
馬蹄湾 鼠島が浮かぶ木鉢、小瀬戸、神ノ島に囲まれた湾のこと。
ランチ 港内の移動に使う動力付きの小型船。主に人員の移動に使う物を言う。
 動力を持たない小型船。伝馬船やサンパンの類。
艤す 船の準備を整えること。船を用意すること。

八月十四日
◎瓊浦游泳会の十哩競泳状況 二
 =鼠島より深堀へ往復す=
鳴り止まぬ拍手喝采の声。続いて嚠喨(りゅうりょう)の音海に響き渡りたり。()レ同協会の壮挙を賛し健児の(こう)(さかん)ならしめんと奮って来りし市中樂隊の奏楽なり。
波躍(なみおど)赤帽(あかぼう)(いただ)く健児の一隊!
先導者は(たれ)ぞ、達磨顔(だるまがお)に禅僧の(おもかげ)宿す笠野師範なり。次に游泳シャツ純白なるを(まと)赤宝子(あかほうし)()き*藺笠(いがさ)の赤リボンを*(おとがい)に締め*緑髪(りょくはつ)束子(たばね)(たれ)にせし妙齢花の如き女子三名。続くは男子組五十七名日焦(ひや)赭黒(あかぐろ)肌膚(はだえ)を波間に出没せしむ。殿(しんがり)は一見朝鮮漁夫と見擬(みまが)う池田師範なり。一隊の左右五(けん)(づつ)を離れて助教諸氏は一隊と並行に泳進し、楽隊を載せし指揮船は一隊の先頭に徐々と航路を取り、助ヘの左右に密接して進む救護船。
先導笠野師範が(しお)吐く音シュ、続く健児がオイッシと応じ、池田師範はチュッチュッと励まし、助ヘ諸氏は波を打てエイッエイッ、救護船は(ふなばた)たゝいて進みぬ。
海の内外より轟く万歳の声!健児一隊波を蹴ってぞ、目指すは深堀。途中の逆潮(ぎゃくちょう)悪浪(あくろう)何のその、健児一隊は泳ぎ過ぐる所より拍手喝采に歓送歓迎され、深堀村に着せしは当日正午なりき。
(これ)より先、本紙にて当日の壮挙を知りし長崎市人高橋某は、深堀沖に赤帽の鴎群(おうぐん)の如く来るを見るや、(ただち)に遠泳隊饗応(きょうおう)の準備に着手し、同隊の到着を待ちて歓待至らざる無かりし。同隊は深堀豪家(ごうか)深町金八氏の厚意を受け、同家にて休憩昼食(ちゅうじき)を為し、同日午後一時半同村を出発し、又も海上を泳ぎて鼠島に(ちゃく)せしは同日午後五時なりき。
健児隊帰着すれば、海の内外より起れる歓迎の拍手喝采は出発当時と等しかりし。
池田師範は出発当時と等しく、健児一隊に対して一場(いちじょう)の祝意を述べて当日の壮挙を評し、今後のヘ訓を与えたり。此所(ここ)(こと)に特筆す可きは、遠泳の女子三名が、男子選手一般が疲労の(てい)に見えしに(かかわ)らず、(ごう)も疲労の(じょう)に見えざりしのみならず、先頭に進みて(すこし)も追われざりしは何とも評語なし。
左に当日遠泳せし健児の氏名を列記せむ。
     ○拾浬往復者男子
 朝 倉 健 柴田 正二 山本富太郎 陳 慶 亨
 沼川 墾助 鈴 木 襄 春 野 毅 塚原喜代治
 手島 清香 岸川兼太郎 田中喜三郎 田中 惠吉
 山田想一郎 松 尾 茂 山口 金次 井上松之助
 三好 新八 猪口 正玄 山 本 猛
     ○仝  女  子
 今村サイ子 田中スガ子 田中タキ子
     ○往  五  浬
 杉山 俊夫 堀見 東一 岡 貫之助 山本 泰時
 松本 富治
     ○復  五  浬
 溝口 憲二 後藤 雅雄 石尾 保治 澤山 一松
 C水善太郎 松本 源治 谷川 慶次 高見 昇
 莊野 壤一 小西巳代治   以 上
吾等(われら)(この)空前の壮挙を祝すると共に、今後益々健児諸君が奮励斯道(しどう)に尽して海国民人の英気を煥発(かんぱつ)されんことを(こいねが)うものなり。(完)
嚠喨 楽器の音がよく響くさま。
藺笠 い草で作った笠。
 =顎。
緑髪 緑の黒髪。美しい黒髪のこと。

八月十七日
●大連の游泳会
過日の本紙にも、当市出身某将校より、游泳の(よう)満州に起り目下修練中、との来状(らいじょう)に接し掲載し置きしが、今又大連(だいれん)守備隊にても游泳術の軽忽(けいこつ)()すべからざるを悟り、隊長以下各将校部下を奨励して一つの游泳会を起し、師範には例の今実盛(さねもり)(うた)われ瓊浦游泳協会とは深縁(しんえん)ある高柳老大尉を始め、其外(そのほか)二二名に依嘱(いぞく)なし、()お各中隊よりも斯道(しどう)の心得ある下士四名(づつ)を選抜して助手に()て、本月八日同地に於て盛んなる発会式を挙げたり。組織は(すべ)て瓊浦游泳協会同様にて帽子を以て甲乙丙を分ち、甲組赤、乙組赤白、丙白等なるが、其他(そのた)軍属(ぐんぞく)連の入会者も多く、日々盛大に(おもむ)きつゝありとの通信ありたり。
大連 中国東北部の都市。ロシアの支配地域だったが日露戦争開戦後日本軍が無血入城し守備隊が駐屯していた。
実盛 斉藤実盛。平安時代末期の武将。武士の鑑とされる。
軍属 軍人ではないが軍の機能を維持するために必要な様々な仕事をする民間人のこと。事務的な仕事から建設、売店経営など多岐にわたる。

八月十九日
●鼠島の競泳大会
深堀遠泳に成効なしたる瓊浦游泳協会にては(みょう)二十日の日曜を期し、午前九時より会場なる鼠島に於て全会員の競泳大会を行う筈なれば、定めて勇壮至極(しごく)のことなるべし。今()に来観者の為め当日の番組と時間とを掲げ置くべし。

右終って賞品授与式あり。式後の余興として女子部及び男子部甲組の水芸各一回あり。次に*源平西瓜取(げんぺいすいかと)り、男子部甲組の*打球(だきゅう)城責(しろせめ)ありて、最後に各師範の模範游泳等ありと言えばの盛会なるべし。
源平西瓜取り 二組に分かれて水中で西瓜を奪い合う。西瓜は水に浮くがある程度は沈めることもできる所がゲームを面白くする。
打球 水球のこと。西アジアを起源とする馬に乗って杖で球を打つ遊技が東アジアに伝わり『打毬(だきゅう)』となり、ヨーロッパに伝わり『ポロ』となった。水球=ウォーター・ポロであることから日本でポロにあたる打毬(球)をあてたと思われる。

八月二十日
【広告】
 大 競 泳 会
 本日挙行
出島第一発船午前九時
 熊本より猿木先生本日来場ス
 八月廿日 瓊浦游泳協会

●猿木流の達人来崎
日本にても有名なる熊本猿木流(さるきりゅう)游泳の大達人たる猿木師範は今般(こんぱん)瓊浦游泳協会よりの招聘(しょうへい)に応じ、斯道(しどう)奨励の為め態々(わざわざ)本日熊本より来崎(らいき)なし、(ただ)ちに鼠島なる同会員の競泳大会に臨んで游泳に関する講話及び模範游泳等あるべしと()えば、本日の競泳大会は一段の花を添え定めし盛会の事なるべし。

八月二十二日
【投書】
▼女子三名が深堀遠泳に成功したとて式部連(しきぶれん)は近頃投書欄にまで恐ろしく気焔(きえん)吐出(はきだ)した。(これ)だから*女子と小人(しょうじん)は養い難しの金言()(むべ)なるかなと言いたくなる。(鶴老)
▼過日深堀へ遠泳されたる女子三名の内一名僕の(さい)周旋(しゅうせん)する人はなきや。(廿五男)
女子と小人は養い難し 「女性と徳のない人間とは、近づけると図に乗るし遠ざければ怨むので扱いにくいものである。」元は『論語』の一節。今なら大炎上の投書である。

八月二十三日
◎雨中の大壮観@
 =第二回の深堀遠泳=
第一回の深堀遠泳に予想外の成効(せいこう)なしたる瓊浦游泳協会にては、一昨日の雨中にも(かか)わらず会員の熱心は監督師範()を*慫慂(しょうよう)して(つい)に第二回の深堀遠泳往復を決行せしめたり。救護船其他(そのた)万般の準備(すべ)て前回通りにして教師笠野、町野、内海、八田及び助手四名監督の(もと)に午前十時十五分、濛々(もうもう)たる雨中を物ともせず遠泳者総数五十七名(男女共)が隊伍を整え波涛(はとう)を蹴り抜手を切って泳ぎ出したる有様は、前回に勝りし大壮観にして思わず快哉(かいさい)を唱えられたり。(かく)て首尾よく雨を()き対岸深堀に泳ぎ着きたるは午後二時にして、五十七名の内二十六名(内女子一名)なりたり。同所にては、前回にも斡旋の労を()られし同村有志深町金八、高橋治吉両氏の宅にて、又々非常の歓待を(こお)むり、昼餐(ちゅうさん)休憩の(のち)午後四時五十七名中の一粒選(ひとつぶよ)り二十一名(女子一名復泳にのみ加入す)は奮勇一番海に投じ、懸声(かけごえ)勇ましく帰島の途に()きたる時には、海面(よう)やく荒初(あれそ)めんとして、遊泳者の困難一方(ひとかた)ならざるよう見受けられしも、暮色蒼然(ぼしょくそうぜん)たる七時過ぎに無事深堀遠泳往復に成効なし、鼠島に帰着したる健児は(すべ)て二十名にして、(しん)に雨中の大壮観を極めたり。
往復遠泳者の氏名年齢は左の如し。

(ちなみ)に女子部の今村レン子が、僅か十二の少齢にも(かか)わらず他の男子と伍し、雨中を(おか)して躍進したる熟練と勇気とには、見る者をして思わず感嘆の()を放たしめたりと。協会が着々成功の実果(じっか)を納めつゝあるは喜ぶべし。(これ)畢竟(ひっきょう)師範役員諸氏が指導(よろ)しきを得たるの結果ならんか。
慫慂 そうするようにさそって、さかんに勧めること。
濛々 霧、煙、ほこりなどが立ちこめるさま。

八月二十六日
◎鼠島競泳大会
去る二十日の日曜に開催の筈なりし鼠島大競泳会は、生憎(あいにく)の雨天にてお流れとなりしが、(みょう)廿七日(日曜)更に盛大なる大競泳会を挙行する(よし)にて、協会にては競争者への賞品其他(そのた)諸般(しょはん)の準備に多忙を極め居れり。(ちなみ)に、日本一とも称せられし斯道(しどう)の大達人熊本猿木氏は、前回都合に()来崎(らいき)なかりしが、目下帰県中の内海師範同伴愈々(いよいよ)来崎(らいき)する(よし)なれば、一段の盛会なるべし。

【広告】
  大 競 泳 会
去ル二十日ノ大会ハ雨天ノ為メ延期セシ処
明廿七日(日曜)挙行ス
  但雨天順延ノコト
     瓊浦游泳協会

八月二十七日
【広告】
本日ハ第一発船午前八時
以下定例
 八月廿七日 瓊浦游泳協会

●競泳大会と余興
再三本紙上に既記を経たる瓊浦游泳協会の競泳大会は、本日午前九時より会場なる鼠島に於て盛大に挙行さるゝ筈なるが、熊本小堀流の達人猿木氏も愈々(いよいよ)内海師範と同伴来崎(らいき)さるゝ事と決したれば、一層の盛会を(てい)せんなり。()お本日中の見物(みもの)として、会員の熟練と技倆を発揮すべきは余興の部なるべく、水芸(みずげい)源平西瓜取(げんぺいすいかと)り、打球(だきゅう)城責(しろぜめ)等、(いず)れも看衆(かんしゅう)の喝采を(はく)するに足らんが、(こと)に水中にての銃砲射的こそ嘆賞(たんしょう)に値いし眼を驚かす物あるべしと云う。(こいねがわく)くば本日の競泳大会をして雨なからしめよ。

八月二十九日
●一昨日の鼠島競泳大会
雨続きの為め遺憾を忍びて延期に延期を重ね居りたる瓊浦游泳協会。一昨日の鼠島競泳大会は朝来(ちょうらい)久し振りの快晴の上に日曜とて、午前八時の出船より毎船(ほと)んど人の小山を築きて鼠島に送られたり。競泳大会は午前九時より師範助手()が注意周到なる監督の下に勇壮に活発 開始せられ、毎回海若(かいじゃく)をも驚かす数万看衆(かんしゅう)歓呼(かんこ)喝采の声に送られて無事終了したるが、余興の西瓜取り、水中射的などは最も看衆(かんしゅう)をよろこばせ、()(その)熟練の程に驚嘆せしめたり。優勝者には夫々(それぞれ)賞品授与ありて、薄暮散会したるが、当日全島は(ほと)んど参観者を以て埋められたる如き近来の盛会なりし。当日競泳者の氏名は左の如し。

●游泳会女子部の名誉
旅順(りょじゅん)閉塞(へいそく)の花と散り、世に軍神(ぐんしん)(うた)われたる*広瀬中佐の兄君(あにぎみ)として軍艦浪速(なにわ)(ちょう)たる海軍大佐広瀬勝比古(かつひこ)氏は、我が瓊浦游泳協会によりて盛大に海事思想(かいじしそう)鼓吹(こすい)され、由来(ゆらい)柔弱(じゅうじゃく)を以て知られたる長崎青年子女をして猛然()って深堀十哩遠泳に成効せしめたる如き、一に游泳会の力なるを()とされ、常に称賛され居たる(おもむき)なりしが、一昨日の鼠島競泳大会にて、特に女子部員が男子を凌ぐの勇気と熟練とを実見(じっけん)して痛く感服され、女子にして斯迄(かくまで)游泳に発達せし所は日本全国恐らく長崎一ヶ所なるべしとまで激賞され、昨日は態々(わざわざ)使(つかい)を以て遠泳及び競泳者の選手たる今村サイ、今村レン、田中スガ、田中タキ、小林フジ、本田フミ、西郷ミ子、徳永ツルの八女子を招待されたれば、師範池田正誠氏引率して同艦に到りたるに、広瀬艦長は懽然(かんぜん)として女子一行を迎えて談笑の内に奨励的の注意を与えらるる所あり。(のち)手厚き饗応(きょうおう)を受け引取りたりと。実に八女子の名誉と()うべし。
広瀬中佐 旅順港閉塞作戦で敵艦の魚雷を受け沈没しつつある艦に部下を助けに戻り戦死。『軍神』と呼ばれる。

九月一日
【広告】
自今出島発船ヲ左ノ通相定候也
 午後一時、同三時
九月一日 瓊浦游泳協会

九月三日
【広告】
自今出島発船ヲ左ノ通相定候也
 午後一時、同三時
日曜に限午前十一時一回を増す
九月一日 瓊浦游泳協会

九月四日
【広告】
 大競泳会延期
昨三日ハ午前ノ天候不穏ノ虞レアリタル為メ中止セリ
本日ハ雨天ニ不拘挙行
猿木先生愈来場シ模範的游泳術ヲ示サルゝニ付会員諸君奮テ来場アレ
 九月四日 瓊浦游泳協会

九月五日
【広告】
 会員諸君ヘ告グ
来崎中ノ猿木先生郷里熊本ヨリ電報ニ接シタル為メ俄然三日夜半ニ汽車ニテ急行帰県セラレタルニ付模範泳術ノ義ハ乍遺憾次回ノ大競泳会ニ延期ス
九月四日 瓊浦游泳協会

九月十日
【広告】
会員諸君ヘ告グ
本日大游泳会挙行
 其他技芸游泳数番アリ
猿木先生ハ予告ノ通リ本日挙行ノ大会ニ於テ模範游泳ヲ示サルル為メ昨日来着上野屋ニ投宿セリ
本日ノ出島発船ハ午前 九 時以下従前ノ通り
午前十一時
 九月十日 瓊浦游泳協会

九月十二日
●一昨日の游泳大会
一昨日鼠島瓊浦游泳協会游泳場に於て同会競泳大会を挙行せり。当日は日曜日なりし上朝来(ちょうらい)よりの晴天なりしを以て、来会者非常に多く(ほと)ンど一千名に達したり。当日競泳番組()の如し。
一丁組五十ヤード一回、一丙組百ヤード一回、一乙組二百ヤード一回、一甲組八百ヤード二回、一乙組平游競泳女子部一回、一抜手競泳二回、一二人三脚競泳一回、一障碍物同二回、一女子部日傘行列、
甲組芸泳、一立泳ギ、一御前泳ギ、一水書、一浮身、一発銃
右終りて師範諸氏の模範游泳及ビ猿木大家(たいけ)浮身水書(うきみみずかき)等ありて夕暮散会せり。

九月十七日
【広告】
 游 泳 大 会
●本日は各会員熟達の芸泳を試み盛大なる游泳会を催すに付会員諸君奮て来会あれ
 一日限りの会費は自今拾銭とす
 本日第一出島出船午前十一時
●来る二十日を以て閉会す
 九月十七日 瓊浦游泳協会

●本日の競泳大会
瓊浦游泳協会にては来る二十日を以て愈々(いよいよ)本年度の閉会日とする筈なれば、本日の日曜を()し午前十一時より鼠島に於て会員全般の最も盛大なる競泳大会を催うし、其外(そのほか)種々(しゅじゅ)水中の余興等多き(おもむき)なりと云えば、本年最終の競泳大会と云い*旁々(かたがた)本日は非常の盛況を(てい)すべき也。
旁々 いずれにせよ。どのみち。