明治四十年(1907年)

七月三日
●鼠島の游泳場
瓊浦游泳協会は年々非常の盛況を(てい)し来たり。(その)会員は目下二千余名と云う。多数の男女を有するに至り(こと)に会員の技倆(ぎりょう)進歩は驚ろくべきものあり。女子部の遠泳の如きは東都(とうと)諸新聞(しょしんぶん)紙上にも(かか)げて(その)壮挙を讃称(さんしょう)せし程なるが、(これ)畢竟(ひっきょう)会員の熱心勉励にも()らんかなれど、又た監督者の奨励と(その)人を得たるの結果と()わざるべからず。本年も早や(れい)を思うの時期に到達せしかば、同協会にては愈々(いよいよ)(きた)る十一日より九月十日まで鼠島の游泳場を開始する(はず)にて諸般の準備中なるが、会場の設備等も逐年(ちくねん)整頓し来たりたれど、本年は最も注意を払い()遺憾(いかん)なからしめん筈なりと。又開場中万般(ばんぱん)の責任者として同協会にては男子部総監督池田正誠(いけだまさしげ)、主任師範町野吾六(まちのごろく)嘱托(しょくたく)師範八田常吉(はったつねきち)、同笠野源太郎(かさのげんたろう)、女子部総監督河村弘貞(かわむらひろさだ)、主任師範内海静治(うつみせいじ)、嘱托師範(および)幹事堀見章(ほりみあきら)の諸氏を撰定し、外に例年通り会員中より助手、班長五十余名を撰拔して游泳者の監督に従事せしむべし。(ちなみ)に会費として小学校生徒(十四歳以下は之に準ず)より七月分参拾銭、八月分五拾銭、九月分弐拾銭、全期八拾銭、小学以上学校生徒より七月分四拾銭、八月分七拾銭、九月分参拾銭、全期壱円、普通会員より七月分五拾銭、八月分壱円、九月分四拾銭、全期壱円五拾銭、準会員より一日大人弐拾銭、小児同拾銭を徴集すると。尚(なお)詳細は大村町商業会議所内同事務所に(つい)問合(といあわ)すべし。

七月十一日
●鼠島は本日より
瓊浦游泳協会にては既記(きき)の如く愈々(いよいよ)本日より鼠島なる游泳会場を開始する(よし)なるが、乗船地は昨年通り大波止にして(その)発船時刻は、七月中午後一時、同三時、同五時の三回なれど、日曜日は午前九時、同十一時の二回を増加し、都合五回の発船なり。(ちなみ)(それ)と同時に従来外浦(ほかうら)町商業会議所内に(おい)て取扱いつゝありたる事務は大波止出張所に於て扱い会員の便宜(べんぎ)を計るべしと。

七月二十一日
社員韓国へ急行す
*韓国の騒動は連日御報道(ごほうどう)申上(もうしあげ)(そうろう)通りの次第に候処(そうろうところ)此上(このうえ)騒擾(そうじょう)有之(これある)間敷(まじく)とは万々推察致され(そうら)(ども)巨細(きょさい)(もら)さず御報道可申上(もうしあぐべき)は読者に対する義務に有之(これあり)(よつ)て社員
西郷四郎氏
(わずら)わし本日の関釜(かんぷ)連絡船にて*京城(けいじょう)へ派遣。同氏は往年北清(ほくしん)事変(じへん)に際して北京に(おもむ)き、又日露の戦役に(さきだ)つて義州(ぎしゅう)龍巌浦(りゅうがんほ)安東県(あんとうけん)の各地に()りて、細大(さいだい)(もら)さず当時の実状を読者に伝えたることは(つと)に諸君の(りょう)とせらるゝ()(ぞん)(そうろう)向後(こうご)氏の通信による韓国の実情は他の到底企及(ききゅう)し得べからざるものと信じ(そうろう)(あいだ)左様(さよう)御承知(ごしょうち)被下度(くだされたく)(そうろう)
韓国の騒動 第三次日韓協約の締結前後の騒動。皇帝高宗が退位させられ韓国軍は解散された。このあと七月二十九日から八月二十五日にかけて五回の『京城日誌』が掲載された。
京城 現在のソウル。

八月八日
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八月十九日
●鼠島の競泳中止さる
瓊浦游泳協会にては予記の如く昨日の日曜を期し会場鼠島に於て男女会員の競泳大会を開催する(はず)なりしかば、非常の人出にして出船毎に四隻の団平船(だんべいせん)は会員、見物人を(もつ)(あふ)るゝ(はか)りにして(その)盛会の(ほど)()こそならんと思わしめたるに、意外にも別項の如く露船(ろせん)モンゴリヤ号にて又々*上海コレラを輸入し来たり。港外に仮停船を命ぜられたれば、自然患者の汚物が海中に流入し伝播(でんぱん)(おもんば)かりて水上署にては(ただ)ちに杉村警部を保安丸(ほあんまる)にて鼠島に派遣し当日の競泳を中止せしめ、(なお)午後一時大波止出船の船より差留(さしと)めるにぞ当日の競泳大会は遺憾(いかん)千万(せんばん)にも中止となり、会員は不平たらたらにて引上(ひきあ)げたるは是非(ぜひ)もなし。尚発患者(はつかんじゃ)にして真正と確定せば、(したが)って鼠島の游泳も(ある)期間は中止を(まぬが)(あた)わざるべしと()う。
上海コレラ 上海航路の船に多く発生したことで上海コレラと呼ばれた。そういう種類のコレラがあるわけではない。

八月二十日
●鼠島は日曜まで中止
一昨日鼠島の競泳大会は知事以下各高官(れん)の参観もあることゝて、会員は今日(こんにち)(はれ)の場所を(さいわ)(かね)て錬磨せる技倆(ぎりょう)を発揮して当日の名誉を(はく)せばやとの勢い凄まじく詰懸(つめか)()りしに、折悪(おりあし)く当日露国(ろこく)汽船にて上海コレラを輸入し来たりし事とて、折角(せっかく)の競泳大会も中止となり会員は落胆して引揚(ひきあげ)たるは既報(きほう)の如くなるが、当日の中止命令が警察側より発せしよう()せしは其実(そのじつ)注意したるの*誤聞(ごぶん)なりし(よし)にて、游泳協会にても実際危険を感じ()る事とて警察よりの注意に応じ当日の競泳を()め、(なお)(きた)る二十五日の日曜日まで一時鼠島の游泳を中止することゝなりたる(よし)
誤聞 前の記事で水上署が競泳大会を中止させたと書いたことは間違いで中止の判断はあくまでも游泳協会であるとの訂正記事になっているのは、水上署へ多数の抗議があり水上署から訂正の要請があったのかもしれない。

八月二十四日
●鼠島の游泳開始
港外碇泊(ていはく)露国(ろこく)汽船モンゴリヤ号内にて真正コレラ患者発生せし()め、(その)危険を(おもんば)かり一時中止せる瓊浦游泳協会の鼠島游泳場は、露汽船の停船も本日にて満期となり解停さるゝを以て(みょう)日曜より開始すべしと。

八月二十八日
●游泳協会休会に決す
瓊浦游泳協会は本港と密接関係を(ゆう)する門司市に悪疫(あくえき)流行(りゅうこう)せる()め当分休会することに決し、(かね)て本市港湾事務所より借り受け居たる小蒸気船(こじょうきせん)阿蘇丸(あそまる)は昨日限り返還せり。

九月七日
【投書】
◎私は瓊浦游泳協会員で深堀、伊王島間遠泳者の一人ですが今回は例年の如く感状(かんじょう)(くだ)さらんのですか。

九月二十三日
●瓊浦游泳協会運動会
瓊浦游泳協会にては(みょう)廿(二十)四日の秋季(しゅうき)*皇霊祭(こうれいさい)()し、*道の尾万象園(ばんしょうえん)に於て陸上運動会を催うし種々の余興(とう)ありと()えば盛会なるべし。
皇霊祭 歴代天皇皇后の霊を祭る宮中祭祀で、春分の日に春季皇霊祭、秋分の日に秋季皇霊祭が行われる。
道の尾万象園 温泉を中心に広大な庭園を有する今で言うリゾート地であった。